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嶽本野ばら『沈黙——サイレンス』
キリスト教の布教は 領地の拡大を目的としていたとか 隠れ吉利支丹の信仰は 一つのレジスタンスであった... キリスト教の布教は 領地の拡大を目的としていたとか 隠れ吉利支丹の信仰は 一つのレジスタンスであったとか 人文科学的な考証は、 どうでもよいのだと思う。 マーティン・スコセッシの 「沈黙——サイレンス」を観ました。 宣教師が棄教をした 知らせの真実を確かめに 弟子である司祭は五島列島へ向かう。 恐らく、予告などから得る印象は 壮絶な拷問を受けても尚、 信仰を貫く 吉利支丹の崇高な生き様を 描く作品との予測でしょう。 しかしこの作品は 隠れ切支丹をヒロイスティックには 捉えていませんでした。 追い込む者の残忍さに 焦点が当てられることもなく 信仰とは何か? 神とは? に就いても 語られませんでした。 キリスト、ユダの物語の 暗示は据えられていますが 宗教的(或いは芸術的)解釈はなく 対立する人々の構図に 重商主義、保護主義へと 向かう現代の 在り方を重ね、鑑賞するは 仕方ないことだけれども