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松竹伸幸『共産主義国に生まれたら、コミューン革命をめざしていた・1』
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松竹伸幸『共産主義国に生まれたら、コミューン革命をめざしていた・1』
産経新聞デジタルiRONNAの「『社会主義ノスタルジー』で変貌する世界」に寄稿しました。そちらではタイ... 産経新聞デジタルiRONNAの「『社会主義ノスタルジー』で変貌する世界」に寄稿しました。そちらではタイトルが異なっていますが(内容を改変しない範囲で用字用語も変わっていると思います)、元のままで5回連載します。 ———————————————— 大学生になってまもなく、1974年にコミュニストになった。当時の大学というのは、生協の建物に入るともっとも目立つところに『資本論』が山のように積まれており、コミュニストでなくても友だち同士で『共産党宣言』の輪読会をするような雰囲気に包まれていた。 一家4人が6畳一間で暮らすような貧しい家庭に育った。貧しさから解放されて親に楽をさせてあげたい、そのために商社か銀行に勤めたいということが、大学(一橋大学)を選んだ最大の動機だった。だが、共産主義の思想を勉強して感じ取ったのは、自分一人が解放される道を選ぶのではなく、貧しさにあえいでいる多くの人々をともに