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模倣不可能性に価値がある時代
私たちは今、模倣不可能性に価値のある時代に生きている。 模倣不可能性とは他人がコピーできないことだ... 私たちは今、模倣不可能性に価値のある時代に生きている。 模倣不可能性とは他人がコピーできないことだ。 前時代とは模倣可能性に価値があった時代だった。 他人に教える、他人に同じことができるように資料を作る。 同じように感じることができる人間が共感を生み、志が一つになることが流行を生んだからだ。 もちろん、ここには伝える者と伝えられる者という絶壁があるけど、価値のあることを模倣でき集団として成長することができていた。 月日がたち、模倣できるとインターネット上にばらまかれる時代になった。 同じようにやればお金が稼げる、人を集められる。 そしてそれはフラットになり、無価値になった。 伝える者と伝えられる者に模倣不可能性がなく、同じことを言っていれば究極的には誰でも教祖になれるわけだが 必ず、ねずみ講のように上がいる。 しかし匿名性によってばらまかれた情報は伝える者と伝えられる者との関係を壊し ねず