エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
福田恆存と山本夏彦 - 歌わない時間
福田恆存「大衆は信じうるか」より。 ── 極端な言ひ方をすれば、「言論の自由」を否定し懐疑する「言論... 福田恆存「大衆は信じうるか」より。 ── 極端な言ひ方をすれば、「言論の自由」を否定し懐疑する「言論の自由」はありうるか。なるほど、それはある。法律的には何等の「禁縛」も置かれてはゐない。が、それを主張するのにためらひを感じるとすれば、そしてそのためらひの原因が、自分の中よりも外側の世間にあり、それが自分を圧迫して言ひたいことを言ふのをためらはせるのだとすれば、さういふ世間には「言論の自由」があるとは言へない。法律的には自由であつても、人々の精神には何かの「禁縛」が置かれてゐる。さういふ心理的な「禁縛」のことを「禁忌」と呼ぶ。(新潮社版『福田恆存評論集』第七巻、p.180) ── こういうこともいろんな人が言ってると思いますが、つい先日読み返した山本夏彦『毒言独語』にも同じようなことが書いてあるのを読んだばかりだったので、面白く思ってついでにこの福田恆存の文章も書き写してしまいました。山本