エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
交代可能性に思いをはせる想像力を - 南英世の 「くろねこ日記」
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
交代可能性に思いをはせる想像力を - 南英世の 「くろねこ日記」
今の政治家に必要なのは、自分のこととして置き換える「交代可能性」に思いをはせる想像力ではないか。1... 今の政治家に必要なのは、自分のこととして置き換える「交代可能性」に思いをはせる想像力ではないか。1970年代までは、社会的弱者を包み込むゆとりがまだ日本には存在していた。しかし、バブル崩壊後、人間はコストとしてしかみなされなくなった。会社にとって労働者はコスト、障害を持つ人は社会にとってのコスト。おかしな社会になってしまったものである。 政治家だけではなくて、国民みんなが「交代可能性」について思いをいたすことができれば、世の中はもう少し違った風景になる。人間はいつまでも若くて生産的で世の中の役に立つ存在であり続けるわけではない。年をとれば病気がちになり社会のお荷物になる。若くても病気など様々な理由から働けなくなることもある。いつ自分も社会的弱者になるかもしれないのだ。そうしたとき、弱者の処遇をどうすべきか。それによって国家の品格が決まる。 交代可能性に思いをはせることの大切さを私に教えてく