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”もう一人の杉原千畝” ユダヤ難民救う 樋口季一郎とは(上)(丹波新聞) - Yahoo!ニュース
第2次世界大戦中の1940年(昭和15)、多くのユダヤ人難民を救う「命のビザ」を発行した杉原千畝。「東洋... 第2次世界大戦中の1940年(昭和15)、多くのユダヤ人難民を救う「命のビザ」を発行した杉原千畝。「東洋のシンドラー」とも呼ばれた杉原の行動からさかのぼること2年前の1938年(昭和13)以降、旧満州国ハルビン市で、数千人以上のユダヤ人難民の命を救った日本の軍人がいた。兵庫県の淡路島出身で、私立尋常中学鳳鳴義塾(現・同県立篠山鳳鳴高校)から軍門へと進んだ陸軍中将・樋口季一郎だ。日本ではあまり知られていないが、ユダヤ人国家のイスラエルでは今も恩人として感謝されている。そんな「もう一人の杉原千畝」というべき存在であり、後に「玉砕」という悲劇に向き合った軍人の生涯を追った。 ナチス・ドイツの弾圧を逃れてドイツを脱出したユダヤ人難民が、シベリア鉄道で満州国との国境に近いソ連領オトポール駅に着いたのは、1938年3月8日のことだった。 当時、日本はドイツと防共協定を結んでおり、日本の傀儡(かいらい)
2018/10/29 リンク