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「銀シャツ党」首領ペリーと古賀政男の弟古賀治朗 - 神保町系オタオタ日記
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「銀シャツ党」首領ペリーと古賀政男の弟古賀治朗 - 神保町系オタオタ日記
ナチスのアメリカ版「銀シャツ党」の首領にペリーという男がいた。三浦関造が在米中に出会っていたらし... ナチスのアメリカ版「銀シャツ党」の首領にペリーという男がいた。三浦関造が在米中に出会っていたらしい*1が、古賀政男の弟治朗も接触している。 眞崎甚三郎の日記*2によると、 昭和15年8月29日 古賀九時半に来訪、米国より帰朝し其の状を報ず。米国には神秘学者酒井将[ママ]軍的のペリー氏あり、之を中心として革命的動きあること、米は参戦すべく而も出征の兵は少かるべしと云ふにあり。 9月1日 古賀十一時に来訪、Pelly氏のメツーセージ原文を持参し之を示す。同氏は猛烈なる反猶太の由にて相当の勢力を有すと云ふも、一挙にて猶太の勢力を倒し得るものにあらず、此と連繋して運動すること我が政府の方針を確めたる后にあらざれば軽挙に着手し難き旨戒めおけり。 9月2日 古賀八時に来訪、在米同胞の為に敬天社と揮毫を依頼す。予は之を諾せり。此機会に予は同君は策士に誤られざる様注意を与ふ。 11月7日 古賀十時に来訪、