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[Vol.1]鮨屋では、なぜ客がテストされるのか│「闘争」としてのサービス―顧客インタラクションの研究 - Linking Society
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[Vol.1]鮨屋では、なぜ客がテストされるのか│「闘争」としてのサービス―顧客インタラクションの研究 - Linking Society
鮨屋を研究した理由私は現在、新しい創造性のプログラム「Kyoto Creative Assemblage」をやっていますが... 鮨屋を研究した理由私は現在、新しい創造性のプログラム「Kyoto Creative Assemblage」をやっていますが、今日は「闘争としてのサービス」についてお話したいと思います。 「サービスとは」と検索すると、一般的には「顧客の要求を満たす」「問題を解決する」「便益をもたらす」などと書かれており、顧客満足度が非常に重要な変数になっています。これ自体は間違ってはいないのですが、何かおかしい気がします。 またサービスドミナントロジックでは、サービスの定義は「他者、あるいは自身のベネフィットのためにナレッジとスキルを適用すること。顧客は常に価値の共創者である」とされています。これもベネフィットのため、というところが少し違うのではと感じます。 なぜ「サービスは顧客満足度」と単純に言えないのか。それを研究するために、お鮨屋さんの研究を始めまして、現在「サービスは闘いである」と提唱しています。