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「わたし」を生きるために性別を捨てた話 -自分の「X」という性について|小島
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「わたし」を生きるために性別を捨てた話 -自分の「X」という性について|小島
はじめに、昔話 幼い頃から「性」に関心の強い子どもだったと思う。4歳くらいのとき、いつも両親のどち... はじめに、昔話 幼い頃から「性」に関心の強い子どもだったと思う。4歳くらいのとき、いつも両親のどちらか(だいたい母親)とおふろに入っていた。そのたびに、母親と父親の身体の違いが不思議だった。 どうしてママはおっぱいがふくらんでるの?(パパはそうじゃないのに) どうしてパパはわきの下に毛が生えてるの?(ママは生えてないのに) よくそういう疑問を口にして、そのたびに母親は子どもにもわかるようにかみ砕いて説明してくれた、気がする。 初恋のようなものも早かった。幼稚園で同じクラスだったエマちゃん。ブロンドの天然パーマの髪がすごくきれいで、まつ毛もきれいな金色だったから驚いたのを覚えている。赤とか緑の、周りに砂糖が大量にまぶされたグミが大好物だった。 今思えば、エマちゃんへの気持ちも恋だったのかはわからない。単純に、かわいいな、と思っていただけなのかもしれないし、好きなアイドルに憧れるような、いわゆ