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【特集】1940年6月にエストニアで何が起きたのか(Part.2)|増永 真悟 (博士)/ Shingo Masunaga (Ph.D.)
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【特集】1940年6月にエストニアで何が起きたのか(Part.2)|増永 真悟 (博士)/ Shingo Masunaga (Ph.D.)
エストニアへのソ連軍進駐からわずか1ヵ月後の1939年11月30日、ソ連はフィンランドへの侵攻を開始。 エ... エストニアへのソ連軍進駐からわずか1ヵ月後の1939年11月30日、ソ連はフィンランドへの侵攻を開始。 エストニア駐留ソ連軍もまた、このフィンランドとの「冬戦争」に動員され、パルディスキ(Paldiski)駐留の空軍部隊がフィンランドへの空襲などに参加した。 フィンランド各都市への空襲に用いられた、ソ連空軍のツポレフSB爆撃機(模型)。少数機の編隊で高速で都市上空へ侵入し、爆弾を投下して去る一撃離脱のような爆撃方法を取っていた。エストニア軍情報部は1939年9月の独ソによるポーランド侵攻時、膨大な量のソ連軍通信情報を傍受し、その分析を進めた結果、最高機密であるソ連軍暗号「OKK-5」の解読に成功した。 OKK-5の暗号表などは極秘裏にフィンランド軍に提供され、また国内のソ連軍の動きを把握する事が出来たエストニア軍はタリン市内の参謀本部ビルから、ヘルシンキのフィンランド軍参謀本部を結ぶ海底通