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1970年代 初頭の多賀城市の釣りと水辺の話
私が幼い頃に遊んだ多賀城市周辺の釣り水辺の様子を書き記してみたいと思います。 だいたい、1970年代、... 私が幼い頃に遊んだ多賀城市周辺の釣り水辺の様子を書き記してみたいと思います。 だいたい、1970年代、昭和45〜55年頃の薄れゆく記憶を思い出してみたいと思います。 1970年代、釣り少年にとっての多賀城市 釣り好きの少年にとって、多賀城という環境は、当時どうだったのか考えてみます。 多賀城市民の子供にとっての海釣り 多賀城市には海はありません。砂押川の河口付近を海と呼ぶなら、ほんの少しだけ海に面した部分があるのかもしれません。(貞山堀くらい) なので、多賀城の子供達の海釣りといえば、隣接する仙台新港や、七ヶ浜町の各漁港、塩釜港でのハゼやネウ釣りという事になります。 小学校高学年になり、自転車での活動範囲が広がると共に、仙台新港や七ヶ浜町に行き出すというのが多賀城の釣り少年の通る道でした。 前記のように多賀城には、ほとんど海がありませんので、家が漁業を営んでいる家庭はありません。 多賀城の