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りりィが17歳の時に初めて書いた歌~「愛」に込められた孤独な少女の叫び
りりィのプロデューサーだった寺本幸司が、日本で最初のインデペンデント・レーベル「アビオン・レコー... りりィのプロデューサーだった寺本幸司が、日本で最初のインデペンデント・レーベル「アビオン・レコード」の設立を企画したのは1966年のことだった。 その時期にゴスペルの影響を受けた歌手の浅川マキと出会った寺本は、和製ソウルを開拓しようと考えて、デビュー曲「東京挽歌」を制作してビクターレコードから発売した。 しかし、この楽曲は世間に認められず、自由な歌作りをめざしたアビオンも経営が軌道に乗らなかったので、寺本はレーベルから去ることになった。 寺本はその後、1968年に原盤制作を行う音楽出版社「ジュン&ケイ」の設立に参画した。 そして作曲家の浜口庫之助の嘱託スタッフになって働きながら、12月には新宿のアンダーグラウンド・シアター「蠍座」で、寺山修司の構成・演出による「浅川マキ深夜3日間ライブ」を成功させた。 その後、浅川マキは1969年に東芝レコードからシングル「夜が明けたら」を出して注目を集め
2017/03/24 リンク