![](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/e7a3d2f9340dd16237caad4ef0644c64ebf80132/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Ftokyo-sports.ismcdn.jp%2Fmwimgs%2F4%2Ff%2F1200w%2Fimg_4f94c52c94f36c43902b64a10a46f079196405.jpg)
エントリーの編集
![loading...](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/common/loading@2x.gif)
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
猪木が大木金太郎と壮絶4の字相討ち ソウル決戦で最初で最後のインター王座挑戦 | 東スポWEB
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
![アプリのスクリーンショット](https://b.st-hatena.com/bdefb8944296a0957e54cebcfefc25c4dcff9f5f/images/v4/public/entry/app-screenshot.png)
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
猪木が大木金太郎と壮絶4の字相討ち ソウル決戦で最初で最後のインター王座挑戦 | 東スポWEB
【昭和~平成スター列伝】“燃える闘魂”こと故アントニオ猪木さん(享年79)は名勝負と同時に数多くの... 【昭和~平成スター列伝】“燃える闘魂”こと故アントニオ猪木さん(享年79)は名勝負と同時に数多くのベルトを獲得した。だが日本プロレス時代には看板王座だったインターナショナルヘビー級王座には力道山、ジャイアント馬場が君臨していたため、挑戦の機会はないまま1972年に新日本プロレスを旗揚げした。 同王座は日プロ末期の72年12月4日に大木金太郎(キム・イル)がボボ・ブラジルを破り、第9代王者となるも日プロが73年4月に崩壊すると、ベルトは宙に浮き、以降は大木が所持したまま地元・韓国で防衛を重ねた。 そんな状況下で75年3月27日、ソウル奨忠体育館で猪木にとって最初で最後のインター王座挑戦が実現した。猪木は74年にストロング小林との“昭和の巌流島”(3月)、大木とのシングル戦(10月)でいずれも伝説的名勝負の末、劇勝してマット界のトップに立った。大木にとってはリベンジ、猪木には過酷な敵地での王座