エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
氷川女体神社・祇園磐船龍神祭に参加させて頂きました - 娘編 - 青い滑走路
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
氷川女体神社・祇園磐船龍神祭に参加させて頂きました - 娘編 - 青い滑走路
前回の息子編の続きになります。さいたま市東部に広がっている見沼田圃は、今年まで40年間続いた政府の... 前回の息子編の続きになります。さいたま市東部に広がっている見沼田圃は、今年まで40年間続いた政府の減反政策を受けて水田は減り続け、多くは畑作へ転換するも、昨今では農業の後継者不足により荒地も見られるようになってきております。この地は縄文期より海/沼が広がっていた水の豊かな土地で、江戸時代におこなわれた新田開発のための干拓事業にて農地へと大きく姿を変えた場所でした。 その見沼の水利権と漁業権を持ち、太古よりこの地で強い影響力を持っていた氷川女体神社にて、5月におこなわれた「祇園磐船龍神祭」に少し参加させて頂いた話しの後編となります。この祭りは古くは「御船祭」と呼ばれ、神霊を神輿に載せた船を御沼中央に漕ぎだし、その自然の恵みへの感謝を表す儀式でした。江戸幕府の厳命にて見沼を埋め立て農地とした後には、「磐船祭」とその名を替え、陸地に特別に設けた祭祀場にて同様の儀式を続けていました。 出典:さいた