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【幻のドラえもん】(中)「アニメの手塚」の“子供”たちが手がけた (1/3ページ) - MSN産経ニュース
テレビ朝日系アニメ「ドラえもん」が始まる6年前の昭和48年、日本テレビ系でアニメ化された「日テレ... テレビ朝日系アニメ「ドラえもん」が始まる6年前の昭和48年、日本テレビ系でアニメ化された「日テレ版ドラえもん」。制作会社のスタッフだった真佐美ジュンさん(63)は「漫画の神様」こと手塚治虫さんの秘書役を務めた。 真佐美さんは昭和20年の敗戦直後に埼玉県浦和市(現さいたま市)で生まれた。高校卒業後、坂本九のような歌手を志してビクター音楽学院へ通っていた20歳の時、新聞で手塚さんの会社「虫プロダクション」の求人広告を見つけた。芸能プロダクションと勘違いして応募。入社試験の段階でアニメ制作会社だと分かったが、面接で「健康か」「月に1~2回、家に帰れないことがあるがいいか」と聞かれ、大丈夫ですと答えて入社した。 最初は「W3(ワンダースリー)」の制作に配属されたが、翌41年7月から1年弱の間、虫プロの社長室勤務を命じられた。社長である手塚さんの秘書役だった。 「手塚先生がいかに『神様』だったか。と
2009/01/13 リンク