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武田邦彦 (中部大学): 目標を置いてはいけない
数10年前、著者が小さい頃もそうだったが、なぜか日本の小学校や中学校では児童や生徒に「目標」という... 数10年前、著者が小さい頃もそうだったが、なぜか日本の小学校や中学校では児童や生徒に「目標」というのを意識させる。 「あなたは将来、何になるの?」と聞かれる。小学校の頃、将来はバスの運転手になりたいという作文を私は書いている。そんなに将来のことではなくても、野球をすれば甲子園、合唱をすれば全国大会と、いつでも「目標」が強調される。 でも、目標は「目指すもの」ではないと私は思う。 目標とは「結果として与えられることがあるもの」に過ぎない。つまり、毎日、自分なりにすこし努力しながら生活していって、その結果、あちらから来るのが「目標」なのだ。 人は生きている。生きているものにとって最も大切なのは、生きることそのことであり、それすら神様が決めればあの世にいかなければならない。つまり、人は運命に支配されるものなのである。だから、自分で目標を定めるというのはいささかおこがましい。 朝、起きて、支度をし