エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
ドイツ宗教改革
~Vol.12~ドイツ宗教改革 中世のドイツは帝権の弱体化で国民的統一を欠いていた。というのも、当時の... ~Vol.12~ドイツ宗教改革 中世のドイツは帝権の弱体化で国民的統一を欠いていた。というのも、当時のドイツは神聖ローマ帝国であり、ローマ教皇の戴冠をうけて、皇帝としてドイツと、イタリアに君臨する仕組みであったため、本国ドイツよりも、かつてローマ帝国として栄えたイタリアの方に勢力をはる、いわゆるイタリア政策に力を入れていた。よって、本国ドイツの政策はおろそかになり、ドイツ諸侯は各自独立して分立した地方国家を形成しており(この地方国家を領邦という)、15世紀前半の段階でおよそ300の領邦が形成されていて、皇帝の中央集権体制は困難であった。16世紀になっても、この事態は変わらず、教皇による政治的・財政的干渉が受けやすくなり、ドイツは教皇庁による利益搾取の標的とされた。”ドイツ農民は角のない牝牛(めすうし)で、種を蒔いても、収穫物は坊主に持って行かれる”といった歌からドイツは「ローマの牝牛」とま