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東京新聞:焦土の中で 横浜大空襲70年(2) 被害にあった華僑:神奈川(TOKYO Web)
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東京新聞:焦土の中で 横浜大空襲70年(2) 被害にあった華僑:神奈川(TOKYO Web)
あの日、壮絶な空襲の被害に遭ったのは日本人だけではなかった。「すぐ背後に焼夷(しょうい)弾が落ち... あの日、壮絶な空襲の被害に遭ったのは日本人だけではなかった。「すぐ背後に焼夷(しょうい)弾が落ちた」。横浜市中区の在日中国人三世、小林弘岳(ひろたけ)(中国名・羅岳宗)さん(92)は、「昔の記憶はあまりない」と言いつつ、一九四五年五月二十九日の横浜大空襲のことは強烈に覚えている。 小林さんは生まれも育ちも横浜。親族は、二〇一一年に閉店した横浜中華街の老舗「安楽園」を経営し、小林さんも近くに住んでいた。子どものころ、在日二、三世の自由は比較的担保されていた。中学からインターナショナルスクールに通って英語を習得し、明治大に進学した。 しかし、戦火が激しくなると状況が変わった。中国籍のため徴兵されることはなかったが、「授業に行けたのは一年の時だけ。日本人の学生がいなくなったから」。県外に出るには特別な許可が要るようになり、外を出歩くと、警察官に後をつけられた。