年齢も生き方も何もかも違う。でも…ただ、一緒にいたい――。「不揃いな2人(たち)」が織りなす物語。SNSで大人気百合漫画の長編エピソードが連載開始!
今日は2年ぶりにコミックマーケットが開催されたそうで、うちのタイムラインは、それを寿ぐ画像やメンションでいっぱいになった。そういえば、私はもう10年近くコミケに行ってない。今行ったら自分は年寄りだろうなとも思ったりした。 ところでコミケも含め、いわゆるオタク界隈とみなされる領域から発展した諸コンテンツの一般化、カジュアル化がいわれて久しい。新世紀エヴァンゲリオンの頃も、涼宮ハルヒの憂鬱の頃も、まどか☆マギカの頃もそれは言われていた。2021年の歌番組にウマぴょい伝説が登場するのも、そうした変化の帰結と言えるかもしれない。 だからアニメやゲームを楽しんでいるといってオタクとは限らない、と言いやすくもなった。そしていわゆるキモオタとは、キモいコンテンツに夢中になっているからキモオタなのではなく、主な趣味がSFや漫画やアニメやゲームだからキモオタなのでもなく、当人自身の(挙動も含めた)外観の問題
最近表現の自由等に関わる色々なブコメを見ながら思った事なんだけど、ある程度論理的にそういう結論が導けるんじゃないかな?と思ったのでやってみる。 まずここでは論旨を絞る為に、対象を「表現が現実の性犯罪や性被害を誘発する」という根拠で表現規制やゾーニング(宇崎ちゃんの件等、18禁より条件が厳しいもの)を求めるケースに絞る。 だからその他の根拠の場合は対象ではない、だからタイトルには(の一部)と入れた。まぁ他の根拠って、表現の不快さとか位かな?と思うので、根拠としては弱い物しか残らない気はするけど。 で、「表現が現実の性犯罪や性被害を誘発する」を根拠とする場合、まず問題になるのはその因果関係が科学的或いは統計的に証明できてない事だよね。 これまでに何度も調査が行われている筈だけど、私が見たものはどれも影響について否定的なものだった。暴力的な表現の影響も同様だね。 勿論私が知らないだけで影響がある
新刊の情報が出ました。1月31日発売予定です。Amazonからも予約できるようです。 当事者は嘘をつく (単行本) 作者:小松原 織香 筑摩書房 Amazon 『当事者は嘘をつく』という、少しびっくりするようなタイトルになっています。自分の性暴力の被害体験について整理して、初めて他人に見せられる形で書きました*1。私にとっては、性暴力の経験を語ろうとすればするほど、言葉が遠ざかっていくような感覚があります。どうすれば、真実を語れるのかわからない、と思うような困難があります。それを、そのまま描き出そうと格闘した著作です。また、自助グループでの活動を通して性暴力被害者のアイデンティティを持ってから、修復的司法の研究者になるまでの、心理的葛藤も詳しく書いています。帯にはカウンセラーの信田さよ子さんにコメントをいただきました。 「私の話を信じてほしい」哲学研究者の著者は、傷を抱えて生きていくために
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