ブックマーク / kaikai00.hatenablog.com (10)

  • 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会

    全国学力テストに初参加へ=2年連続見送りの犬山市教委−愛知 犬山市教育委員会が全国学力調査に参加することを決めた。そこで,いくつか。 時事通信のこの記事に寄せられているコメントなどを読みながら感じたのは,全国学力調査が魔法の杖のように見えているのではないかということ。その魔法の杖は,その妥当性を考えずに,それを使うことで様々なことができてしまうように見せてしまう。 犬山市が行ってきた「教育」がそれで評価できると言うけれど,その根拠はどこにあるのだろうか。全国学力調査で教師の力量が評価できるという俗説と同じ。 全国学力調査では,提灯と釣り鐘に例えたように,比べられないものでもランキング化してしまえば何か評価した結果を眺めているような気になる。そこからしか話が始まらないから,ランキングの順位,平均より上か下かという話が中心になる。 ランキング化してしまえば,競争をしているような気にもなる。百メ

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    esnn 2009/03/28
  • 「悪競争」な人たち - 今日行く審議会

    【主張】全国体力テスト 学力と同様に競い合いを 「悪競争」というのは,競争の必要のないところに競争を持ち込んだり,競争する必要のないところで競争させることが良い方向に向かうんだと信じ込んでいることを言う。 教育をしたら良くなるという「教育神話」を信じて,問題が起こると教育を行えとひたすら主張する「教育万能主義」と同様に,「悪競争」も「競争神話」を信じて,必要のない競争をひたすら主張する。 http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20090108/1231365875でも,同じようなことを書いた。教育において,競争の必要のないもの,競争できないものを競争させることは,イギリスやアメリカの例を見れば弊害が大きいと言うことができる。イギリスやアメリカにおける「悪競争」は今,見直されつつある。日はそこから学ぶのではなく,同じような弊害を経験しなければ「悪競争」を見直すことは

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    esnn 2009/01/25
    「教育において,競争の必要のないもの,競争できないものを競争させることは,イギリスやアメリカの例を見れば弊害が大きいと言うことができる。イギリスやアメリカにおける「悪競争」は今,見直されつつある。」
  • 必要のない競争をさせることのどこが教育なのか - 今日行く審議会

    【正論】社会学者・加藤秀俊 「競争」なくして何の教育か 大学入試と全国学力調査,この両者を混同したこのような論が必要のない競争をさせることを正当化している。 まず、全国学力テストと入試の違いは何か。それはEvaluationとAssessmentの違いだ。入試はEvaluationだ。入試は差をつけることを目的とした評価であり、方法も差をつけるための評価方法が用いられる。そして、そこには「競争」が必要不可欠なものとして存在する。全国学力テストは、Assessmentだ。それは被評価者の現状を把握することを目的とし、現状を把握するための評価方法が用いられる。そして、そこには「フィードバック」が必要不可欠なものとして存在する。また、入試では評価の基準は簡単に変更されない。しかし、全国学力テストでは評価の基準は絶えず見直しの対象となる。両者を混同したまま,「競争させるのか,させないのか」という点

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    esnn 2009/01/10
  • 提灯に釣り鐘 - 今日行く審議会

    秋田県知事が全国学力調査の市町村別の結果を公表したという。「提灯に釣り鐘」その言葉がぴったりだと思う。その理由は,市町村別の結果を「比較する」ためには,比較可能なもの(数値など)を用いて比較する必要がある。けれども,市町村別の結果を公表する方も,それを見聞きして評したり論じたりする方も比較可能なものを用いてはいない。それは,提灯と釣り鐘を比べて,良い悪い,勝ち負け,優劣をつけ,挙げ句の果てにはそれを競い合わせようとする。そして,そのことに疑問を感じない。 PISAやNAEPが,なぜ政策の立案や政策を評価する際に根拠となるのか。それは,比較可能なものを比較することを前提としているからだ。そこでは,日のように提灯と釣り鐘を比較するようなことはしない。 比較可能なものを比較してこそ意味がある。その前提に立つからこそ調査の必要があり,調査の意味がある。その前提に立たないで,提灯と釣り鐘を比較する

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    esnn 2008/12/27
  • 「判断すること」を教えて育てること - 今日行く審議会

    携帯電話の話題が取り上げられている。以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080518/1211038742で書いたことを繰り返し書いておきたいのだけど,規制や禁止をいう大人より,物わかりの良い大人より,きちんと子どもと話せる大人がいいと思う。子どもに携帯電話を持たせるときに,それを持つことで,どういうメリットやデメリットがあるのか,どこまでは自由にできるのか。どこから大人が関与するのか。そういうことをまず子どもと話をしてみたらいい。そういうプロセスを経なかったり,軽視しておいて,問題が起こると禁止や規制をしようということが前面に出てくる。禁止や規制の前に,子どもときちんと話をするプロセスをもっと大事にしたり,重視すべきということ。そういうことは家庭や学校という区別無く,どこでも必要なことだ。 また,最近感じるのは,子どもに「判断すること」を教えて育てると

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    esnn 2008/12/06
  • ここによく表れている日本の学力をめぐる論議のおかしさ - 今日行く審議会

    学力テスト1位「秋田に学べ」は大丈夫? 大学進学率は低迷 日における学力をめぐる議論のおかしさがこの記事にはよく表れている。以前,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071206/1196896313で次のようなことを書いた。 PISAの結果についてマスコミはそろって不安を煽り始めている。そういう状況の中で出てくる主張は,時間増,いわゆる「ゆとり教育」からの脱却といった的外れなものばかり。 考えておかなければならないことは,PISAの「リテラシー」という概念が当に日で育成されようとしているのか,育成されてきたのかということ。http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20071130/1196370772で「日型」という言葉で表現したけれど,日において一般的に「学力」として想定されてきたもの,されているものはPISAの「リテラシー」

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    esnn 2008/11/02
  • 限界をふまえない議論 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会

    【主張】学力テスト 指導の改善へ積極公表を 全国学力調査をめぐる議論でよく目にするのは,限界をふまえないまま議論しているもの。ここでいう限界というのは,全国学力調査を含めたテストは,見ようとするものしか見えないのだということ。 全国学力調査のことを何度も「魔法の杖」に例えている。その理由は,限界をふまえないままsれもこれも評価できる,実態が把握できるという議論が多いからだ。 例えば,教師の能力を評価したいと考える。そうであるならば,必要な調査項目は何か。妥当な調査方法は何か。改善策を立てるにはどのような調査項目が必要か。そうしたことがまず第一に問題にされなければならない。けれど,全国学力調査に関する議論では,評価できるという前提でそうしたことを問題視しないまま,結果の公表だけが主張されている。 もし,結果が公表されなければそもそも何も分からないではないかといわれるなら,それは当だろうか。

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    esnn 2008/10/20
  • こんなデタラメに付き合わされないこと - 今日行く審議会

    【解答乱麻】教育評論家・石井昌浩 テスト結果を公表せよ まず, 文科省は、調査見直し・不要論にたじろいではならない。国の教育政策立案の基礎として学力を検証するに足る長期間の全国データはぜひとも必要なのである。教育は国家百年の計なのだ。43年ぶりに復活したこの調査は「費用対効果」などで論じる次元を超えた極めて重い意味を持つものである。連続悉皆調査を継続すべきである。 について。アメリカのNAEPは抽出調査だ。悉皆調査ではなく,抽出調査の方がメリットがあると考えられているからだ。アメリカのNAEPについては,http://benesse.jp/berd/center/open/berd/2006/03/pdf/03berd_05.pdfで池田央氏が詳述されているので読んでいただければと思います。 OECDのPISAについても同じことが言えるのだけど,国単位の調査の目的は「子ども個人の学力調査」

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    esnn 2008/10/10
  • 全国学力調査という魔法の杖 - 今日行く審議会@はてな

    http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20070509/1178642759で引用した池田央氏の 私はよく、「意味のある調査」と「ナンセンスな調査」という風に分けて呼ぶのですが、「意味のある調査」とは、例えば、ある問題の正答率が高かった、または低かったかが分かるだけでなく、なぜそうなのかを推察できるような質問も同時に組み込まれた調査です。つまり、原因の推定可能なデータが集められるように工夫された質問が組まれている調査こそ、意味のある調査なのです。それに対して「ナンセンスな調査」というのは(今の日の多くの調査がそうではないかと思うのですが)、得られた結果の原因を、現場の先生の経験による勘や、評論家の意見や判断に基づいて後から憶測するしか方法がないような調査のことです。 と言う指摘。 よく,学校や教師,教育委員会などが全国学調査の結果で「評価」されること。結果の公表を

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    esnn 2008/10/04
  • 試行錯誤を否定してはいない - 今日行く審議会

    私の主張していることは,試行錯誤を否定することではない。全国学調査は今まさに試行錯誤の最中であると言われるかもしれない。しかし,その試行錯誤は合理的な判断に基づいたものではないということを主張してきた。それは,http://d.hatena.ne.jp/kaikai00/20080918/1221676531で書いたことの繰り返しになるけれど書いておきたい。 苅谷剛彦氏が[asin:4480059296:title]で指摘したことは,大規模に一斉に導入ではなく,小規模で試行錯誤を繰り返して,その結果を反映させていけばいいといったことだったと思う。全国学調査については,悉皆調査というリスクもコストも大きなものを一斉導入するのではなく,各地で行われていた学力調査や各学校,各クラスで実施されていた評価,または,PISAやNAEPなどの先行事例のように抽出調査をいくつか実施するということができた。

    試行錯誤を否定してはいない - 今日行く審議会
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    esnn 2008/09/29
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