「もう7年しか残っていません」。 1993年2月にサムスングループの李健熙(イ・ゴンヒ)会長はロサンゼルスで絶叫に近い叱責を吐き出した。ロサンゼルスは彼が数百人の重役を率いて6カ月間にわたり世界の先進企業の視察に出た最初の訪問地だった。偶然訪れた大型マートで彼は衝撃を受けた。陳列台の前列は日本のソニーとNECの製品が占めた。サムスン製品は白くほこりをかぶったまま隈に押し込まれていた。世紀末の大転換期にサムスンが変われなければおしまいだ。絶体絶命の危機感は「妻と子どもを除いてすべて変えよ」というフランクフルト宣言を生んだ。これを契機にサムスンは韓国のガキ大将から、ソニーだけでなくアップルやインテルも超えたグローバル製造企業に生まれ変わった。 「宇宙船も打ち上げる中国がまだボールペンの芯も作れないのか」。 2015年12月に中国の李克強首相は嘆いた。中国は1年に400億本のボールペンを生産し世
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