2016年09月30日15:58 カテゴリ 村瀬学の『鶴見俊輔』 1 母は「貴種を折る」ために非情だったのか 鶴見俊輔の幼児期の回想、たとえば「ともかく、私はゼロ歳のときから、おふくろに殴られながら、『おまえは悪い人間だ』といわれつづけた」をめぐって、村瀬学は、鶴見の「母」にとっては「貴種」であろうとすることが「悪人」だったのである、と言う。 「幼年期の鶴見が、大邸宅の敷地の一角に住み、伯爵となる祖父・後藤新平の、周りから奉られる姿を見、そういう姿に憧れを抱いて育つ息子を、母はひどく嫌ったのである。それは、息子への嫌悪というよりか、実際は、父・新平に対する娘・愛子の深い嫌悪感が重ねられていたのである」 「そういう父・新平のたどり着いた伯爵の世界を『貴種』の世界と呼べば、母はたった一人でこの『貴種』と向き合い、息子をなんとしても『貴種』にさせないように、身体を張って阻止しようとしていたのであ
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