日本のネット空間の2ちゃんねる化 日本のネット上のコミュニケーション空間に独特なコンテクストがある。特に「2ちゃんねる」に特徴であるが、実社会への皮肉、若者世代論、オタク、ネットリバタリアンなど傾向が強く、「実生活」のコミュニケーション空間と比べると独特である。 ブログをやっていると、このネットコンテクストの強制力をすごく感じる。ネット上のコンテクストに同調するような強者叩き、若者応援、オタクネタなどはとても受けがよいが、コンテクストにそぐわない「あたり前のこと」を書くと反応か少なく、「つまらない」となる。 ネット空間は暇人がつくる このような独特なコミュニケーション空間はネット技術に依存しているだろう。匿名性によって言いたいことが言いやすい。また暇人ほど多く発言でき、同じ人が発言しても匿名なので一発言が一投票のような錯覚により、暇人の発言が影響力を持ってしまう。 そしてネットコミュニケー
2011/01/12(水) 「夜戦と永遠 フーコー・ラカン・ルジャンドル」佐々木 中(ISBN:4753102661)を読み始めました。 まだラカンの章ですが、なかなか面白いですね。ラカンはいい加減なんだ、という入りは良いですね。大いに賛成です。だからラカンなんかどうしようもないということではなく、それを前提に読み込むという真摯な態度。 多くのラカンの入門書の困った点は、このいい加減さを懸命に補完して体系化しようとするところ。だいたいが演劇じみて興奮した語りで乗り越えようとする。そこを冷静に語った本って本と少なくてね。 特に面白いのが結局、ラカンのシニフィアンとはなにか?なにでできているのか?ラカン自身のいい加減さ、とまどい。ここでも以前議論したことがあったと思います。このようなラカンの限界をもとに、つぎにルジャンドルへ繋がっていくんでしょうね。 2011/01/12(水) ラカンの章読
トイレには それはそれはキレイな女神様がいるんやで だから毎日キレイにしたら 女神様みたいにべっぴんさんになれるんやで 私にそう教えた祖母が死んだ。私を育ててくれた祖母。 しかし私が今日もトイレを掃除する理由はむしろ、私の趣味が立ちションだからだ。トイレが毎回べちゃべちゃになる。女だから、あらぬところへ飛んでゆく。 立ちションを楽しみ、掃除をし、その副次的な効果で美貌まで手に入るなら一石二鳥だと思っていたけれど、立ちションする女は嫌だと彼氏に去られて悩んでいる。やめよう、やめようと何度も思ったけれど、どうしてもやめられずにいた。 いつものように罪悪感にまみれながら腹に渾身の力を込めて立ちションしていると、便器の水面が揺らいで祖母の顔が急に浮かび上がった。祖母の顔は言った。 「わしゃ死んだら成仏するか、千の風になると思っとった。真実はちゃうで。見てみぃ。わし、トイレの神さんや」 「地縛霊みた
あだ名をつけるなら「蛇頭」だな!ってゆうおフェイスのおにいさんが倒れた違法駐輪自転車直しててヤダアタシ胸きゅん!!
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