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ブックマーク / beachharapeko.hatenablog.com (2)

  • 『アートで候。会田誠・山口晃 展』続き - beach_harapeko's blog

    先日のエントリー*1に対し友人から、括弧つきの『現代美術』の文脈を意識しすぎる、と指摘があった。職業評論家であるわけでもないのだから、素直に絵に対し感動を表現すればいいのではないかと。 ぶっちゃけてしまえば、私はこの展示を見て、そのコンセプト(モチーフ・経歴・戦略等々)を無視して剥き身の絵画として対峙したときに、彼らの作品に感動を見いだせなくてうろたえたのだ。 『現代美術』を『現代美術』たらしめている文脈を無視して鑑賞する行為の恣意性も判っているけれども、正直、会田氏も山口氏も何度も見ていると、もはやコンセプトに新鮮味も驚きも感じられない。これはキュレーターの責任でもあろうが、旧作の展示方法がなおざりで、ただそこに作品を並べただけで、照明や空間、鑑賞のストーリー性への工夫が感じられず、どうしても絵画そのものへと意識を向けざるを得ない状況になっている。 それが『上野の森美術館』という場所のオ

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  • 『アートで候。会田誠・山口晃 展』(上野の森美術館) - beach_harapeko's blog

    激しく会場との違和感を感じた。会場の、施設の古さ、に。 なにも自分はいつも小奇麗な施設でしか美術鑑賞をしない、というわけでもない。六木に行ったことはないし、木場は一回しか行ったことがないが、竹橋は年に数回くらいは行くし、割と好きな場所だ。古びたビルの一角の画廊にだって、時に思いもかけない絵との出会いがあったりもする。 だからと言って、美術は作品そのものの価値こそが全てであり、それを取り巻く環境−−−設備や照明から、作家や作品に付帯する情報まで−−−に評価を影響されるべきではない、とまでは考えない。 普段はそんなことを考えることもないのだが、今回はなんだか施設を含め、展示そのものがどうにも安っぽく思え、そこが気になりだすと、どうも作品に集中できない。いや、特に会田誠ゾーンや山愚痴屋澱エンナーレに関しては、その安っぽさまでが狙いなのだろうということはなんとなく想像もつくのだが、それが戦後昭和

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