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誰が吹奏楽を殺すのかに関するf_iryo1のブックマーク (8)

  • 誰が吹奏楽を殺すのか(破綻篇) - otoshimono

    ここ数ヶ月、携帯電話のメモに膨大な量の文章が溜まっている。この『誰吹』の最終章の書きかけ原稿の数々だ。 そもそも稿は日のプロフェッショナルの吹奏楽団(または業界)が何処へ向かうのかを、トロンボーン演奏が趣味で吹奏楽に絡んだ仕事に数多く携わるデザイナーの目線で問うてみようと始めたのだった。 が、話はあっちゃこっちゃ飛んだし、どう書こうか悩んだ。 ボクは職業と趣味柄、それこそ世界で活躍するトップアーティストから中学校の部活で頑張る子供まで、つねに世間に注目される大きなプロジェクトの仕掛人として活躍するプロデューサーから市民音楽祭の吹奏楽団集めに頭を悩ますお役人さんまで、レコーディングから海外遠征までこなす市民バンドから仕事がなくて困っているプロ楽団まで、ヒット商品を売り出す方からそれを購入される方まで、色んな立場の色んな方々のお話を聞いたり、様々なプロジェクトに参加させていただいたり、はた

    誰が吹奏楽を殺すのか(破綻篇) - otoshimono
  • 誰が吹奏楽を殺すのか(6) - otoshimono

    五:パラダイムシフトした《吹奏楽》 オーケストラのマネージャーをしている友人が全日吹奏楽連盟の方とお話した時に「吹奏楽(コンクール)はスポーツですから」と言って退けられて唖然とした、と話してくれたことがある。「全吹連からしてこういう考え方だから、吹奏楽業界の音楽性が育たないんだよなーっ」と彼は嘆いていたが、この競技性によって日の吹奏楽編成は滅びずに済んだのも事実なのだ。 第二次世界大戦後の日で、軍楽隊の解散やレコード・放送音楽の発達から、再生メディアとしての訴求力を失った吹奏楽の編成は、教育分野で(この試み自体は戦前から始まっていたが)再整備されることによって生き残ることが出来た。そのパラダイムシフトの牽引をしたのが戦後格的に再始動した全日吹奏楽コンクールであることは間違いない*1。 「聴くするもの」ではなく「吹く(演奏する)もの」、「成熟した楽しみ(深み)」より「成長(上達)す

    誰が吹奏楽を殺すのか(6) - otoshimono
  • 誰が吹奏楽を殺すのか(5) - otoshimono

    四: お手としてのプロフェッショナル 機動性と再生力の高いプロフェッショナルの吹奏楽団が20世紀中盤のテクノロジーの発展と共に一般の鑑賞用としての役目をほぼ終え、世界では典礼と慰問の役割を担う軍楽隊や警察などの音楽隊以外は殆んど姿を消した今、何故日には多くの民間のプロフェッショナル吹奏楽団が存在するのか。 趣味の習い事において、トレースする「お手」はとても重要である。お師匠から与えられた課題を、いかにお手通りにトレースできるか。茶道・華道・書道など、日におけるお稽古事の基構造とアマチュア吹奏楽団のそれとはとてもよく似ている。 またツアー・プロとレッスン・プロが存在し、重層的なヒエラルキーと複雑な利害関係を持った状態でエンドユーザーであるアマチュア・プレイヤーにまで裾野が広がる構造は、ゴルフ業界とも似ているとも言える。 日の吹奏楽愛好家の特徴として「愛好家自身も楽器を演奏する」

    誰が吹奏楽を殺すのか(5) - otoshimono
  • 誰が吹奏楽を殺すのか(4) - otoshimono

    稿はあくまでもプロフェッショナルの演奏家とその周辺を軸に論じていく趣旨であるので、ここで少し知識的な整理をしておきたい。そういう訳で今回は少し退屈な部分もあるため「んなん、知ってるよ」っていう人は読み飛ばして頂いて構わない。そもそもこの話題自体がスルーな人はモチロンである。 三:装置としての職業吹奏楽団 ミュージシャンとは今さら言うまでもなく、音楽を演奏して報酬を得る商売である。プラトンの「新しい音楽」などの古代ギリシアの文献にも登場することから、人間の歴史でも比較的早い段階でミュージシャンという職業は確立されたらしい。中世にドイツで確立されたトランペット・ギルドはその中でも他のギルドに先駆けて年金や保険などの制度まで世界で初めて取り組んだ職業組合と言われる。しかしギルドの徒弟制度と口伝で音楽を継承するスタイルは西洋楽譜の発達に伴って衰退していく(実際には市民革命によるギルド組織の崩壊と

    誰が吹奏楽を殺すのか(4) - otoshimono
  • 誰が吹奏楽を殺すのか(番外編) - otoshimono

    先日、吹奏楽に関わる色んな職業の人と新年会をする機会があり、そのうち吹奏楽譜のコピー問題に話が及んだ。 学校の課外活動やアマチュア楽団の吹奏楽の現場において、大量の違法コピー譜が出回っている事実は、一度でもアマチュア演奏者として参加をした経験された方ならご存知だと思う。中には10個近くの蔵書印が押されたコピー譜を見たことがある。まるでパスポートだ。まさか原譜が次々と売り渡されて捺されていったとは考え難い。コピーにコピーが重ねられたのだ。 当たり前の話であるが、出版譜は著作物である。出版譜を演奏するということは大概、自分ではない他人の作品を購入して演奏するということで、勿論タダということはあり得ない。 さて、日教育吹奏楽やアマチュア吹奏楽団に関わる人々の著作者に対する意識の低さ(無関心さ)はヒドイものがある。彼らのうちどれほどの人が、あんなに口では崇め奉っているマルコム・アーノルド編曲作

    誰が吹奏楽を殺すのか(番外編) - otoshimono
  • 誰が吹奏楽を殺すのか(3) - otoshimono

    二:熱狂の土曜日 明けて2008年12月13日土曜日。東京芸術劇場にてシエナ・ウインドオーケストラ第28回定期演奏会が公演された。指揮は金聖響氏、プログラムは「市民のためのファンファーレ(アーロン・コープランド)」「キューバ序曲(ジョージ・ガーシュウィン)」「ラプソディー・イン・ブルー(ジョージ・ガーシュウィン/ピアノ:外山啓介)」「エル・サロン・メヒコ(アーロン・コープランド)」「ロデオ(アーロン・コープランド)」。ゲストにピアニストを外山啓介を迎えてのクリスマスシーズンにふさわしいアメリカン・プログラムだ。ボクは他の用事で伺えなかったので実際の雰囲気は伺い知ることは出来ないが、鑑賞に行かれた方のブログなどを拝見するに、今回も満足度が高いコンサートであったようだ。 シエナが創立して間もない頃、CDはファンハウスから出していて、ボクがイラストや編集のアルバイトで出入りしていたバンドピープル

    誰が吹奏楽を殺すのか(3) - otoshimono
  • 誰が吹奏楽を殺すのか(1) - otoshimono

    序 吹奏楽ブームである。 『ブラバン甲子園』は昨年のゴールドディスク大賞を獲得し、それに続けとテレビ映画・ヒット曲の吹奏楽版がCD化され話題になっている。 学校の部活動も社会人バンドによる活動も人気、吹奏楽コンクールを中心としたその感動的なシーンは『世代を超えた青春活動』として度々マスコミにも取り上げられている。 年末にはシエナ・ウィンドオーケストラと東京佼成ウインドオーケストラという、在京のプロバンドによるジョイントコンサートも企画され、イベントとしても盛り上がりを見せる。 なのにボクはあえて言う。 《日の吹奏楽は瀕死である》 今を去ること十数年前、吹奏楽コースの某専門学校で吹奏楽アカデミーを受賞した吹奏楽雑誌の編集長が講演をした。吹奏楽の明るい未来について語ってもらう依頼だったのに、実際の内容は『吹奏楽に未来はない』。モチロン学校関係者からは総スカンを喰らった。 十数年後、彼の予言

    誰が吹奏楽を殺すのか(1) - otoshimono
  • 誰が吹奏楽を殺すのか(2) - otoshimono

    一:悪夢の金曜日 2008年12月12日金曜日。すみだトリフォニーホールにて東京佼成ウインドオーケストラ第99回定期演奏会が公演された。指揮はダグラス・ボストック。プログラムは「第ニ組曲(グスターヴ・ホルスト)」「落葉(ワーレン・ベンソン)」「フランス組曲(ダリウス・ミヨー)」「主題と変奏(アーノルド・シェーンベルグ)」「天使ミカエルの嘆き(藤田玄播)」「リンカーンシャーの花束(パーシー・グレンジャー)」。第100回定期を目前に、前常任指揮者による20世紀の吹奏楽のマスターピースのみで組まれた意欲的なプログラムだ。お客はモチロン満員御礼、ボストックのサイン会には長蛇の列、のはずだった。 が、現実は目測でホールキャパシティの三分の一、どう甘く見てもプロオケの定期公演の動員ではない。勿論、演奏家のモチベーションは下がる。聴きに来た人の演奏評価も辛口になる*1 このオーケストラに何が起こったのか

    誰が吹奏楽を殺すのか(2) - otoshimono
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