タグ

ブックマーク / fujipon.hatenablog.com (64)

  • リアル書店や個人ブログの「撤退戦」のゆくえ - いつか電池がきれるまで

    www.wasteofpops.com togetter.com www.itmedia.co.jp 書店がさらに減ってきています。 上記3つの3番目の記事には、こう書かれているのです。 2022年の日の総書店数は1万1495店舗で、2003年時点では2万880店だった。約20年間でほぼ半減した形だ。 20年前か……思い返してみると、僕がまだ学生だった30年前には、夜に時間を持て余したら郊外のビデオレンタル店や書店、ゲームショップに入り浸っていた記憶があります。 あの頃行っていた店のほとんどは、今はもう存在していないので「書店が半減している!」と言われても、むしろ、「半減くらいで済んでいるのか、都会では案外閉店していないのかな」とも感じるくらいです。 そういえば、当時(30年前くらい)はレンタルビデオ店併設の郊外型書店がたくさんできて、商店街の古くからの家族経営の書店がどんどん潰れていた

    リアル書店や個人ブログの「撤退戦」のゆくえ - いつか電池がきれるまで
  • 2024年の「インターネットと人間の限界」と「面白いこと」について - いつか電池がきれるまで

    あけましておめでとうございます。 年もよろしくおねがいいたします。 このブログでは、毎年、新年最初のエントリは、「現在のブログ情勢と今年の展望」みたいなことを書いているのです。 fujipon.hatenablog.com fujipon.hatenablog.com fujipon.hatenablog.com しかしながら、現実問題として、「ブログ界隈」に関しては、「みんなにアピールするメディアとしてはもうオワコンです。好きな人たちが細々と続けていく趣味になりましたね」という言葉で言い尽くされてしまうかな、と思うんですよね。 それは別に悪いことではなくて、自然なことなんだろうな、と。 これだけネットやSNSが地雷原みたいになってしまうと、中途半端に関わらない方が楽に生きられる、とも思います。 僕などは、若い頃に、まだ発展途上だったネットで「知らない人とゆるくつながっていく面白さ」を知

    2024年の「インターネットと人間の限界」と「面白いこと」について - いつか電池がきれるまで
  • 「ジャニーズ性加害問題」と「マスメディア・インターネットの無力」 - いつか電池がきれるまで

    www.jprime.jp この会見については、質問をしていた(というか自説を長々と語っていた)記者の無作法も含めて話題になっています。 僕自身は、ジャニーズ事務所やそのタレントたちに格別の思い入れはないのですが、こうして、子どもや若者を自分の欲望のためにい物にしていたクソジジイがあの世に行ってしまった後で、寄ってたかって、その会社や所属タレントを責めるメディアの厚顔無恥な姿勢に呆れてもいるのです。 この事務所内に自浄作用があればよかったのだけれど、自分の親や親族が性加害を行なっているという噂を聞いて、人に直接確かめ、諫めることができる人が、どのくらいいるだろうか? 自分が所属している組織で、「そんなこと」が行われているかもしれないというのを聞いて、仕事を失う覚悟で、事実を確認できるだろうか? 自分自身が被害に遭ったとしても、その後仕事で成功できたとしたら、負の経験をあえてオープンにし

    「ジャニーズ性加害問題」と「マスメディア・インターネットの無力」 - いつか電池がきれるまで
  • 責められた側の「心の耐性」によって量刑が決まる危うさについて - いつか電池がきれるまで

    mainichi.jp なんと言っていいのか、なにも言うべきではないのか。 僕の地元に近い老舗旅館ということもあって、このニュースには半ば驚き、半ば呆れていたのだが、こんな結果になってしまった。 おそらく、新型コロナ禍でお客さんは激減していて、経営も厳しかったのだろうと思う。 だが、レジオネラ菌に対してあまりにも無知だし(レジオネラというのは、感染して重症化すると命にかかわることも十分にあるのだ。もう受けたのは27年くらい前になるけれど、医師国家試験の問題に何度か出ていた記憶がある)、経営の都合ばかり考えて、客の身体を無視していたというのは、あまりにもひどすぎる。そりゃ責められるよ、いくら「無知」であったがゆえでも。 自分の家の風呂の湯が年2回しか入れ替えられないとしたら、入らないだろそんなの。 SNSなどで見た情報でしかないのだけれど、他の旅館の関係者の「うちはちゃんと清掃もお湯の入れ替

    責められた側の「心の耐性」によって量刑が決まる危うさについて - いつか電池がきれるまで
  • 「ブログランキング」の亡霊と『極東ブログ』の帰還 - いつか電池がきれるまで

    ランキング参加中雑談・日記を書きたい人のグループ blog.hatenablog.com www.sucharaka-zaren.com 『はてなブログ』にカテゴリー別のランキング機能が! というのをみて、僕は驚いてしまいました。 いま、2023年だよね? 『はてなブログ』だよね? まさか、『エンピツ』(という日記レンタルサイトがあったのです。というか、今もあります)の「投票数ランキング」が現代によみがえってくるなんて…… www.enpitu.ne.jp 僕もずっと、こんな日記を書いていました。 www.enpitu.ne.jp この日記のもっとも新しい日付が2013年ですから、もう10年前になるんですね。 さまざまな日記レンタルサービスやブログのプラットフォームが終了しているなかで、まだずっとデータを残してくれている『エンピツ』は、当に良心的ですね。「有料で永久レンタル」というのを作

    「ブログランキング」の亡霊と『極東ブログ』の帰還 - いつか電池がきれるまで
    facebooook
    facebooook 2023/03/04
    “あと、他人の感情に付き合うことに、もう疲れてきました。”
  • 舞台『宝飾時計』感想(2023年2月11日・鳥栖市民文化会館)と、「自分のために生きる」ことに疲れてきた話 - いつか電池がきれるまで

    建国記念日に、舞台『宝飾時計』を観てきました。 キャストは、高畑充希さん、成田凌さん、小池栄子さん、伊藤万理華さん、池津祥子さん、後藤剛範さん、小日向星一さん、八十田勇一さんの8名。 大掛かりな場面転換やCGを使った演出などもなく(楽器の生演奏は印象的でしたが)、8人の役者さんの息遣いで魅せる、そんな舞台だったと思います。 作・演出の根宗子さんは舞台では有名な方なのですが、僕は根さんの舞台を観るのははじめてでした。 コロナ禍で3年間くらい、舞台やコンサートは中止、延期、入場制限などが続いていますし、僕も仕事上、わざわざ人混みのなかに出かけていって、感染してしまった、というのは申し訳ないな、というのもあったのです。 それでも、昨年の後半くらいから、なんだかもう無性に「何かを観たい、ナマのアートに触れたい!」という気持ちになってしまって、演劇や落語などのチケットをネットで取りまくってしまい

    舞台『宝飾時計』感想(2023年2月11日・鳥栖市民文化会館)と、「自分のために生きる」ことに疲れてきた話 - いつか電池がきれるまで
  • 『緩募:「煮詰まった中年男性」の気分転換の方法』その後の話 - いつか電池がきれるまで

    fujipon.hatenablog.com このエントリを公開したのが2022年9月27日。あれから20日くらい経って、季節はすっかり秋になってしまいました。 僕自身はどんな感じかというと、なんだかあまりスッキリしないというか、好調とは言い難いけれど(しかし、これまで50年生きてきて、「今日は調子がいい!」と思ったことは一度もないような気がする)、なんとか生きて、働いている。自分の年齢を考えると、時間を大切にしなければ、と焦りながらも、次の給料日まで、なんとか俺の身体と心よ頑張ってくれ!と昔テレビで観た『キャプテン翼』の三杉くんのような心境にもなっています。あらためて考えると、小学生の三杉くんにあんなに無理させるなよまわりの大人。 さて、冒頭のエントリには、僕が書いたものとしては珍しく、少なからぬ反応をいただいたので、ご紹介しておきたいと思います。 なんのかんの言っても、こういう「中年の

    『緩募:「煮詰まった中年男性」の気分転換の方法』その後の話 - いつか電池がきれるまで
    facebooook
    facebooook 2022/10/18
    “阿部寛さん主演の『ヘンリー8世』”
  • 「隣人訴訟事件」と「誰かを責めずにはいられない人々」 - いつか電池がきれるまで

    『あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン』(住吉雅美著/講談社現代新書)というで、こんな事例が紹介されていました。 あぶない法哲学 常識に盾突く思考のレッスン (講談社現代新書) 作者:住吉雅美発売日: 2020/05/20メディア: Kindle版 1970年代半ばのことである。ある新興住宅地に、家族ぐるみで仲のよい二家族があった。A夫とその子をA児、B夫とその子をB児としておこう。 A児とB児も仲がよく、ある日、A児は大掃除中のB家でB児と遊んでいた。そこにA母が訪れ、A児を買い物に連れていこうとしたが、A児は遊んでいたいから行かないと答え、B父も我々が見ているからと、A児の預かりを快く引き受けた。両家ではすでに何度かお互いの子を預けあっていたこともあり、A母も気軽に子を預けて出かけた。 二人の子供はB家で遊んでいたが、大掃除の合間に様子を見ていたB母に子供たちは「裏の空き地

    facebooook
    facebooook 2022/10/05
    “ほとんどの人は「自分の運のよさを、『正しさ』だと勘違いしている」。”
  • タイキシャトルに救われた日のこと - いつか電池がきれるまで

    www.msn.com タイキシャトル逝去。 28歳というのは競走馬としては長生きだし(というか、「寿命」まで生きられる馬のほうが稀な世界だ)、最期も安らかなものだったとのことなので、寂しさとともに、なんだか穏やかな気持ちにもなっている。 しかし、28歳というのは、僕よりもずっと若かったのだな、タイキシャトル。僕の子どもでもおかしくないくらいの年齢だ。 ずっと競馬をみていると、人間よりもずっとパラダイムシフトというか、世代交代や流行の血統が早いことを思い知らされる。 僕が競馬をはじめた30年くらい前は、『ダービースタリオン』でいちばん種付け料が高かったのは「ノーザンテースト」だったのだが、いまや、そのノーザンテーストの牡系はほとんど残っていない(正直、「ほとんど」なのか「まったく」なのかさえ自信がない)。 サンデーサイレンス、ブライアンズタイム、トニービンの時代があって、ディープ、キングカ

    タイキシャトルに救われた日のこと - いつか電池がきれるまで
  • 『いつも「ここにいちゃいけない」気がする』人間として、50年間生きてみました。 - いつか電池がきれるまで

    anond.hatelabo.jp 『はてな匿名ダイアリー』をみていると、ときどき、「これは僕が書いたのではないか」と思う記事があります。 この『いつも「ここにいちゃいけない」気がする』は、まさにそのなかのひとつです。 僕自身、親の仕事の都合で子供の頃は何度も転向しましたし、高校も大学も昔からの知り合いとは切り離される場所に行くことになりました。 仕事をはじめてからも、医局人事で数年ごとの転勤を繰り返したり、研究生として臨床を離れたり、仕事を休んでいた時期があったりして、思えば、2~3年周期でリセットし続けているんですよね。 実際にそういう生活をしていると「居場所がない」「地元や長年の友人・知人がほとんどいない」ことへの寂しさはあります。 この年齢になっても、転校先の小学校で「地元のお祭り」で盛り上がっている同級生たちに「のれなかった」ときのことを思い出します。 その一方で、僕にはリセット

    『いつも「ここにいちゃいけない」気がする』人間として、50年間生きてみました。 - いつか電池がきれるまで
  • 『遊撃手』時代からずっと読み続けてきた「小田嶋隆という書き手」のこと。 - いつか電池がきれるまで

    mainichi.jp 小田嶋隆さん逝去。 2019年に脳梗塞を発症したり、アルコール依存症についてのを上梓されたりしていたので、おそらくずっと体調が良くはなかったとは思うのだけれど、65歳というのは、今の時代に人が病気で亡くなる年齢としては早すぎます。 僕が「小田嶋隆」という書き手のことを知ったのは『遊撃手』というマイコン雑誌だったのです。 10代の前半にコンピュータというものを知り、マイコンゲームやコンピュータという新しい世界にハマってしまった僕は、世の中に流通しているマイコン雑誌を、『LOGIN』『マイコンBASICマガジン』『コンプティーク』といったメジャーどころから、『ポプコム』(「美少女ゲーム特集」のときにレジに持っていくのが恥ずかしかった……僕は美少女が目的じゃないんです!って心の中で言い訳していました)、『テクノポリス』『Oh!MZ』(のちに『Oh!X』)といった中堅どこ

    『遊撃手』時代からずっと読み続けてきた「小田嶋隆という書き手」のこと。 - いつか電池がきれるまで
  • 「その人にしか書けないこと」は、「日記」とか「何気ない日常の記憶」だけなのだと思う。 - いつか電池がきれるまで

    fujipon.hatenablog.com 前回のエントリには、それなりの数の反応をいただきました。ありがとうございます。 b.hatena.ne.jp 叩かれるのは気分が良いものではないので、基的にブックマークコメントは見ないようにしています。今回は見てしまって、「ああ……」と少し落ち込みはしましたが、こればかりは仕方がない。池に石を投げれば波紋ができるのは摂理ですし、それが嫌なら石を投げなければいい。 こういう話は、誰かの「逆鱗」に触れやすいものであり、だからこそ、多くの人に読まれやすい、という面もありますし。 個人的には、ブログを長く続けるコツというのは「自分と他人に期待しない」ことと、「トライアンドエラーを深刻になりすぎない程度に楽しむ」こと、そして、「ほんの少し収益化しておく」ことだと思っています。 久しぶりに書いたので、僕も少し感覚が鈍っていたし、調子にも乗っていたのだと思

    「その人にしか書けないこと」は、「日記」とか「何気ない日常の記憶」だけなのだと思う。 - いつか電池がきれるまで
  • 羽生結弦選手の「努力は報われなかった」という言葉を聞いて、思い出したこと - いつか電池がきれるまで

    「努力は報われなかった」ー羽生結弦選手が昨夜の民放ニュースで、松岡修造さんや荒川静香さんら、気心の知れた“先輩”に吐露した音。こうした言葉を、ほとんどの新聞が伝えていない(朝日がようやく「報われない努力かもしれないけれど」と)。五輪報道史上、記録すべき名言と思うのに。— Shoko Egawa (@amneris84) 2022年2月11日 この江川紹子さんのツイートと、それに対するさまざまな人たちの反応をみました。 僕は、『AKB総選挙』全盛期の高橋みなみさんのスピーチでの決め台詞「努力は必ず報われるー!」への会場の微妙な空気感を思い出さずにはいられなかったのです。 観客は、他のメンバーのスピーチの決め台詞には、間髪入れずに大歓声で答えていたのですが、この言葉にだけは、戸惑ったような沈黙が会場を覆い、そのあと、明らかに控えめな歓声が上がっていたのです。 僕たちは、「推し」とその所属グル

    羽生結弦選手の「努力は報われなかった」という言葉を聞いて、思い出したこと - いつか電池がきれるまで
  • 永世7冠! 羽生善治さんが語ってきた「5つのことば」 - いつか電池がきれるまで

    www.hochi.co.jp headlines.yahoo.co.jp 羽生さんすごい、すごすぎる…… 羽生棋聖はこれで竜王を通算7期獲得。連続5期か通算7期以上の保持者に与えられる「永世竜王」の資格を手にした。羽生棋聖はこれまで名人、王位、王座、棋王、王将、棋聖のタイトルで永世称号の資格を得ていた。将棋界の8大タイトルのうち、永世称号の規定がない叡王戦をのぞく7つのタイトルすべてで永世称号を獲得する偉業となった。羽生棋聖に次いで永世称号獲得の多い棋士は大山康晴15世名人と中原誠16世名人の5つ。 1996年に将棋界で初めて7大タイトル独占を成し遂げた羽生棋聖。これでタイトル獲得数も通算99とし、こちらも前人未踏の100の大台に王手をかけた。 20年前の「7大タイトル独占」のときにも、そんなことができる人間がいるのか、と驚愕したのですが、今回の「永世7冠」もすごい! 天才たちが集まる将

    永世7冠! 羽生善治さんが語ってきた「5つのことば」 - いつか電池がきれるまで
  • 羽生善治さんのA級陥落と西村賢太さんの訃報に、同じ「50代」として感じたこと - いつか電池がきれるまで

    もうすぐ50歳の俺、錦鯉にもらい笑い泣き— FUJIPON (@fujipon2) 2021年12月19日 武豊さんは朝日杯フューチュリティステークス勝ったし、50代にエール送られまくりの日曜日だったな— FUJIPON (@fujipon2) 2021年12月19日 この2つのツイートが2021年12月19日。 50歳、まだまだイケるじゃないか、とこの日は思った僕なのですが、ここ数日、寂しい、そして悲しいニュースが続いていて、なんだか気持ちが沈んでいます。 www3.nhk.or.jp 51歳の羽生善治九段が、(名人位にあった時期も含めて)29年間続けてきた順位戦A級から陥落。 www3.nhk.or.jp そして、作家の西村賢太さんが、54歳で急逝。 あの羽生さんでも、50代になると、将棋界の最高ランクのA級であり続けることは難しかったし、西村賢太さんは、命を落としてしまった。 僕は2

    羽生善治さんのA級陥落と西村賢太さんの訃報に、同じ「50代」として感じたこと - いつか電池がきれるまで
  • 50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか? - いつか電池がきれるまで

    narushima1977.hatenablog.com この記事を読んで、もうすぐ50歳を迎える僕自身の「仕事」に対する気持ちを整理して、書いてみようと思ったのです。 僕は常々50代の人が何を考えているか知りたいと思ってる。 常々というか、ここ数年というか。 自分が40を超えて、あと何年生きられるのだろう?とか、定年を考えた場合、あと20年というのはどんな時間軸なのだろう?とか、そもそも僕より歳上の50代の方々はあと10年で社会人を終える事にどう考えているのか? とかしれたらいいなと思っていた。過去形で書いたが今も思っている。 『あと10年で定年の歳ですがこのまま仕事するんですか?』なのか『あと10年働かないといけないと考えたら怖くないのですか?』 いや、もっと端的に言えば『何をモチベーションに生きているのですか?』かもしれない。 それは50代の方を馬鹿にしてるわけじゃなくて、自分が50

    50代の「偉くなれなかった人」は、何を考えて働き、生きているのか? - いつか電池がきれるまで
  • 人びとを「プア」から「ワーキングプア」に全力でクラスチェンジさせようとしている国で生きるということ - いつか電池がきれるまで

    fujipon.hatenablog.com ※前回のこの記事の続きです。 anond.hatelabo.jp anond.hatelabo.jp これらの『匿名ダイアリー』を読んだ人たちに知っておいてもらいたいのは、現在の日は、すでに、生活保護や低所得者への援助を積極的に行っている国ではない、ということなんですよ。 fujipon.hatenadiary.com こので示されるという統計によると、「日では必要な人の10~20%しか生活保護を申請しない」そうです。 子育て罰~「親子に冷たい日」を変えるには~ (光文社新書) 作者:末冨 芳,桜井 啓太光文社Amazon このには、こんなことが書かれています。 ごく簡単に言えば(「子育て罰」というのは)、子育てする保護者はそうでない大人に比べて賃金が低く、貧困に陥りやすいという課題を表現する「child penalty(チャイルド・

    人びとを「プア」から「ワーキングプア」に全力でクラスチェンジさせようとしている国で生きるということ - いつか電池がきれるまで
  • 「インターネット文学」が生まれ、二極化していった20年間のこと - いつか電池がきれるまで

    はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」 僕がはじめて自分のホームページを作ったのは、1999年だから、もう20年以上前になる。 パソコン通信の時代には、そういうものがあるのは知っていたけれど、知らない人とやりとりするなんて怖いな、電話代もかかるみたいだし、という感じで、そんなに興味を持てなかった。 でも、職場でインターネットというものにはじめて触れて、雑誌に紹介されている個人サイトを覗いてみて、僕はインターネットの「日記」に魅了されてしまったのだ。 そこには、家族との日常を淡々と記録している人、趣味について書き続けている人、進行中の不倫や専門職での出来事を匿名で告白している人、婚活で出会った異性のことを赤裸々に紹介している人、などが存在していた。 他人の日常を覗き見ることには、背徳的な新鮮さがあった。 それまでは、プロの作家の「お金になる文章」以外を読む機会って、ほとんどなか

    「インターネット文学」が生まれ、二極化していった20年間のこと - いつか電池がきれるまで
  • 「なんでGoogleで検索しないのだろう?」とcakesの人生相談炎上をみて思った。 - いつか電池がきれるまで

    cakes.mu またcakesか!みたいな話ではあるのですよねこれ。 この回の幡野さんの回答に対して、しかるべき公的機関の窓口などをちゃんと紹介すべきだ、という批判が集まったのも、これまで重ねてきた失態を考えると、致し方ないところではあります。 fujipon.hatenablog.com fujipon.hatenablog.com 個人的には、引っかかっているところもあって、当に相談者が問題を解決することを第一に考えているのであれば、ネットの「人生相談」に投稿するだろうか?それも、幡野さんという回答者を選ぶだろうか?とも思うんですよ。 そもそも、今の世の中で、気で問題解決をするための手法として、「ネットでの特定の回答者宛ての人生相談コーナー」の優先順位が高いとは思えないのです。 僕個人の見解としては、幡野さんの人生相談は「幡野さんに聞いてもらいたい、ネタにしてもらいたい」という人

    「なんでGoogleで検索しないのだろう?」とcakesの人生相談炎上をみて思った。 - いつか電池がきれるまで
  • 「他の子がイジメられているのを止めずに傍観しているのは、イジメに加担しているのと同じことだ」 - いつか電池がきれるまで

    news.nifty.com bunshun.jp 僕が小学生から中学生くらいの頃にも「イジメ」というのは存在していました。 というか、僕のクラスにもそれらしきものはありました。 僕自身はいじめる側に加担することはなかったのですが、いじめを積極的にやめさせようともしていませんでした。クラスの中で、いちばん小さな、ちょっとマニアックなテレビゲーム好きグループの中のひとりとして、毎日、学校嫌だなあ、と思いながら通学していた記憶があります。体育の時間がイヤだったし、何かの折に「じゃあ誰かと2人組になって」とか言われるのがきつかった。 当時、学校では「他の子がイジメられているのを止めずに傍観しているのは、イジメに加担しているのと同じことだ」と言われていた記憶があります。もう35年以上昔の話になるので、いまの子どもたちに対しては、どう教えられているのかは知らないけれど。 冒頭に挙げた2つの事例に対し

    「他の子がイジメられているのを止めずに傍観しているのは、イジメに加担しているのと同じことだ」 - いつか電池がきれるまで