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2008年2月14日のブックマーク (6件)

  • 雑記。 - ちゃずけのはてなにっき

    「感性が立体、ってどういう意味?」とダーリンにつっこみを入れられて少々へこんでいたところ、 日記に時々披露される手作り作品のセンスがとてもいい方がおなじく子供の頃、「あおみどり」がお好きだったとみて復活。 「好きな色」と言われて「水色」とか「黄色」「オレンジ」とぱっと言えるのもいいことだけれど、 うちの子の場合、必ず「どういう状況で好きか」と、理由に「奥行き」がある。(と書くとまたつっこみが、、) 「色」だけではなく、何かを質問されても「それはどういう時で、どういうことか」と問い返してくる。 「理屈っぽい」と言われたらそうかもしれないんだけど、一つの意見の表、裏、だけじゃなく、それを構成しているもの、 をぐるぐる回してみようとする、写生するときも真正面だけではなく必ずぐるっと回って全体を見る。 だから取りかかるのが異様に遅い。絵ができあがるのも遅い。 これはこれで困ったことで、もうちょっと

    雑記。 - ちゃずけのはてなにっき
    false_alarm
    false_alarm 2008/02/14
    「きっとこの記事を読んで納得する人は、夜にたまたま歩いていた女子中学生には何をしてもかまわない、と思ってるんでしょう。」少なくとも、そういう加害者の肩を持っていることに気づくべきでしょうね。
  • 将来的に心理学を仕事にしない人にとっての卒論の意義について積極的に考えてみる その1 | ロテ職人の臨床心理学的Blog

    一昨日のエントリ、「良い研究」ってどんな研究なのさ?でも話題の発端となった、nocteさんの心の探究、あるいは夜の世界の08/02/11のエントリ、相関分析にこんなことが書かれていました。 理想的にはもう一度調査をやり直してみる、というのも手なのだけれども、変数の整理、研究デザインの整理に手間取って、頭を悩ませての調査の実施だったので、それをもう一度というのもなかなか難しい。心理学の専門家を育てるなら、それもありかもしれないけど、そうでもない現状で、そこまで求められないときに、出てきた現実の最初の1歩に踏みとどまっておくことは、確かに大事なことだろうなと思う。 当ブログでも修論の…というか、臨床家にとって研究することの意義ってのは何度か取り上げてきました。 ・【研究】臨床心理士が研究するということ(1)【臨床】(05/01/25) ・【科学的】臨床心理士が研究するということ(2)【思考】(

    false_alarm
    false_alarm 2008/02/14
    必修にする必要はない、と。なるほど。
  • 久野能弘の日記 | 臨床心理士って何なのですかねえ?心理学を学ばずに精神科医が心理学者になれる不思議

    臨床心理学を心理学者の手に取り戻しましょう! 臨床心理士をめざして心理学のコースに入学してくる学生たちの中で、最初から明らかに道を間違って迷い込んできたなと思われる学生がいます。もうそろそろバブルがはじけだしたのでブームは下火になりつつあるのですが昔なら国文科か美学科か宗教学部にでも行っていそうな学生が臨床心理をめざして心理学科に入学してくるのです。 最後の7年間勤務していました大学が日で最初にできた心理学部であるということで、来なら国公立の大学を目指しそうな学生までが物珍しさも手伝ってかこの大学にはいってきていたのです。来、臨床心理学というのは10幾つかある心理学の中の一部門に過ぎなかったはずなのに心理臨床学会というのが心理学会の倍ほどの成員から成り立つにいたってはもはやお笑いでは済まされない悲劇を生んでいるのです。 昨日まで日文学や美学や宗教学をしていた学生たちが臨

    false_alarm
    false_alarm 2008/02/14
    基礎心理が軽んじられている気はする。心理学を基礎心理から学んだ人間の方が"使える"ことをなんとか示して欲しいとは思う。
  • 「いじめバッジ」の報道-報道だけでは何もわからない - 煩悩是道場

    雑感 京都府舞鶴市の白糸中の取り組みとして紹介されている「いじめバッジ」の報道には沢山の批判的なブックマークコメントが付けられている。ところが、学校のホームページに掲載されている情報では、報道と若干ニュアンスが異なるようなのだ。私も脊髄で「はてブ米欄の人々の眼差しの鋭さがが、この運用を決定した人たちに届けば良いのだけれど」というブックマークコメントを残してしまったのだが、学校のウエブサイトから得られる情報だと「いじめバッジ」の取り組み姿勢の受け止め方が異なるのではないだろうか。情報を知ったときは多面的に、と言いながらブックマークコメントを付ける時に慎重になれないのはマズい。自戒を込めて少しだけエントリを書かせて頂く。 ◆報道記事京都府舞鶴市の白糸中(浜)で12日、「いじめをしません」と宣言してバッジを付ける取り組みが始まった。いじめ被害は口頭で友人や教職員に訴えにくいことから、いじめを見か

  • 感情を排して説明してみるということ - 地を這う難破船

    ⇒http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080212/plc0802122007008-n1.htm ⇒http://d.hatena.ne.jp/yousanotu/20080213 真剣に疑問に思っておられるらしいので。 この記事ってセカンドレイプなの?だれか俺に論理的に説明してくれよ。 では「論理的に説明」します。「セカンドレイプ」という言葉で思考停止しなければならないような空気がもし在るならそれは私は好きではない。あぁ花岡さんか、と思って了解した私も大概シニシストだけれども。しかし新聞に載って日中に戸配されたと思うと眩暈する。 まずさあ・・・おまえら。 そのセカンドレイプって言葉をつかうのをやめろと。 おまえらセカンドレイプいいたいだけちゃうんかと。 当にセカンドレイプの被害にあっている人たちが迷惑だろうが。 今回の事件は、22時以降

    感情を排して説明してみるということ - 地を這う難破船
    false_alarm
    false_alarm 2008/02/14
    「毀損されないよう賢明であれ、と示すことと、賢明でなかったから毀損された、と過去形において示すことは、全然違います。」
  • 【政論探求】「反基地」勢力が叫ぶいかがわしさ (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    また、なんともやりきれない事件が起きた。沖縄の駐留米兵による少女暴行事件だ。 関係当局は事件を徹底的に調べ、糾弾すべきは糾弾してほしい。当然ながら、この米兵は厳罰に処せられるだろう。中学3年生、14歳の少女に一生背負わなくてはならないキズを負わせたのだから、これは償いようがない。 以上のことを踏まえたうえで、あえて書かなくてはならない。平成7年の少女暴行事件の再来として、現地では受け取られている。それは感情論としては分かるのだが、「反米」「反基地」勢力が気勢をあげているのは、なんともいかがわしさがにおう。 この事件政治闘争の具にするというのでは、被害少女への思いやりを欠くというものだ。こういう事件を前にしては、人間の尊厳に対してどこまでも誠実でありたい。 「米軍は出ていけ」と声高に叫ぶのは言論の自由なのだろうが、そこには責任も伴わなくてはいけない。日の安全保障は米国の「核の傘」が基

    false_alarm
    false_alarm 2008/02/14
    いかがわしいのはこの記事であり、その著者だと思う。