あのSHOGUNが帰ってくる――。 来年1月のテレビ朝日の新年特番で、松平健主演の『暴れん坊将軍』の新作が制作されることが分かった。『暴れん坊将軍』は1978年から2003年まで放送された時代劇。日本のテレビドラマ史に名を刻む長寿番組で、現在も早朝に再放送中。テレ朝では08年にテレビ朝日開局50周年記念としてスペシャル番組が放送されて以来、新作は作られていなかったため、実に16年ぶりの復活となる。
シンガーソングライター・尾崎豊の『僕が僕であるために』(作詞・作曲:尾崎豊)からの引用である。この曲はアルバム 「十七歳の地図」(1983年)に収録されていた。石破首相を「問われる67歳」と書いてるのは十七歳と67歳をかけているのが明白だ。 次の行にいこう。 「『政権交代こそ、最大の政治改革。』と言うのに、野党は乱立のままか。僕が僕であるために、負け続けては意味はなし」 10月15日の朝日新聞夕刊 文面からあふれる、うまいこといってやった感 だんだん恥ずかしくなってきた。ここでもまだ「僕が僕であるために」を引っ張っている。では最後の一節を見てみよう。 「私たちの手には『盗んだバイク』ではなく、自分の一票がある。投票日に向けて走り出す」 もういけない、いきなり走り出した。「盗んだバイク」というのは尾崎豊『15の夜』(作詞・作曲:尾崎豊)の歌詞「盗んだバイクで走り出す」からの引用である。この曲
2023年4月に都内のシニアハウスに入りました。自分の死に場所が見つかって、今はホッとしています。 昔、友だちと中伊豆に「友だち村」という名のシニアハウスを作りました。60代でだったので入居せずじまい。若い頃の老人ホームのイメージは姥捨て山みたいなものでしたが、今はみんなが老人ホームを良いものにしようと必死になっていて、状況はどんどん良くなっているよね。老いた親たちは事あるごとに「子どもたちに迷惑かけたくない」と言っているんでしょう。だったら、さっさと老人ホームに入ってしまえばいいのです。 入居の決め手は… 私は45歳のときに軽井沢に一軒家を建ててから、都心と軽井沢の2拠点生活を続けてきました。軽井沢は、疎開先の母の実家があった新潟や留学先のイギリスに似た雰囲気があって、とても気に入っています。1990年代からテレビのバラエティ番組に呼ばれて忙しくなりましたが、週末には必ず軽井沢に帰り、ボ
服部恵典 女性向けAV研究者 1993年北海道生まれ。2012年東京大学文科三類入学。社会学専修に進み女性向けAVの研究を始める。2016年東京大学大学院人文社会系研究科修士課程に進み、2023年同博士課程修了(社会学)。博士論文は『「女性向け」アダルトビデオの社会学的研究──性的主体化と抵抗可能性』。現在、東京大学高大接続研究開発センター特任研究員、神奈川大学人間科学部非常勤助手 女性向けAVの最大の特徴は「視線の向き」 ──「女性向けAV(アダルトビデオ)」とは、どういうものを指すのでしょうか? 服部 いわゆる「普通のAV」は、《異性愛者の男性視聴者》を想定してつくられていますよね。 ところが15年ほど前から、《異性愛者の女性視聴者》へ向けて撮りおろされた作品も、継続的に発売されるようになりました。制作しているのは女性向け専門のメーカーで、女性監督という場合が多いですが、男性向けAVメ
《プロデューサーから作品の規模や内容についての概要を聞く。この時点で70分のオリジナルビデオで、予算9000万(音響制作費を除く)であること、及びキャラクターデザインは、原作者竹内氏の要望で江口寿史氏ということだけは確定していた》 80年代後半から90年代にかけて盛んに作られたOVA(オリジナルビデオアニメ)。テレビでも映画館でも公開されない、アニメファンが購入、もしくはレンタルビデオで消費するアニメを指す。『パーフェクトブルー』もそうしたOVA作品のひとつとして作られ、そして、忘れられていくはずだった。 だが前述の「戦記」から今敏本人の言葉を引用すれば、《スケジュール的にあまりに無理が多いことと、内容的に自分には合わないということで断ろうかとも思ったのだが、“初監督”という魅力に釣られてしまった》。 だが、当初はアニメファン向けのOVAとして日本国内で消費されて終わるはずだったこの作品は
8月28日、大ヒットアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年)の朝比奈みくる役などで知られる声優・後藤邑子さんが著書を出版することが明らかになった。 近年では3ヵ月ごとに50本、年間にすると200本前後の新規のテレビアニメが放送され続ける中で、それぞれのキャラクターを演じる声優にも注目があつまり、グループやユニットを組んでアイドル・タレント活動を行うようにもなっている。 後藤邑子さん(撮影=橋本篤/文藝春秋) 後藤さんは、その動きを決定づけた2000年代のアイドル声優ブームの渦中にいたひとり。声優がキャラクターを演じながら、歌って踊るイベントが注目を集め、アニメ人気との相乗効果により、一大ブームへと発展した。キャラクターソングがCDランキングの上位を占め、彼女自身も武道館のステージにも立った。 2022年に公開されたインタビューでは、当時のことについて次のように語っている。 ――当時の『涼宮
PCやスマホに使われている液晶画面は、バックライトで画面を発光させているため、長時間見ていると目が疲れることが欠点です。こうしたことから、かねてより注目を集めているのが、紙のような質感を持つE Ink電子ペーパーです。 E Ink電子ペーパーは、有名なところではAmazonの読書端末「Kindle」などにも使われ、動作速度なども世代を重ねるたびに改良が加えられています。ただこれまではモノクロがほとんどで、タブレットの代替として使うには限界がありました。 しかし近年、フルカラーのE Inkパネルを搭載したデバイスが登場し、じわじわと普及しつつあります。今回はそのひとつ、Onyx Internationalから新たに登場したカラーE Ink搭載タブレット「BOOX Tab Mini C」を使って、現時点でのカラーE Inkの実用性をチェックします。なお書籍のサンプルには、唐沢なをき氏の「二十一
相続税を節税しようとは思わなかった。天から降ってきたようなお金だからだ。ただ、とにかく期限内に正確に申告しなければ、自分の身が危うくなる。そこで父の死去直後から、相続税について猛勉強を始めた。そして、なすべき仕事を片っ端からこなしていった。 不幸中の幸いと言おうか、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故によって、日本中に自粛ムードが漂っていた。講演会やイベントなどの予定は、軒並みキャンセルになった。 「この10年間でこんなにスケジュール表が空いていることはない」というほど暇だったおかげで、奇しくも相続対策に全力を傾注できた。もし父が亡くなったのが2011年でなければ、とてもあの膨大な作業を一人でこなすことは不可能だったと思う。 以下、私が取り組んでいった膨大な作業を、覚えている限り、ご紹介しよう。 「お父さんをおんぶして2階まで来て下さい」 まず最初に、某銀行の高田馬場支店にある父の貸金
日本が第1次オイルショックのさなかにあった1974(昭和49)年、銀座・数寄屋通りの高級クラブ「順子」に、1人の米国人男性がやってきた。 男性の名はディック・ヌーニス。米国のウォルト・ディズニー・カンパニー本社で遊園地担当副社長をつとめていた大幹部である。ヌーニス氏を接待したのは1960年に設立されたオリエンタルランド(OLC)や、OLCの大株主であった三井不動産の担当者であった。 日本国内では1960年代から米国ディズニーランドの誘致合戦が繰り広げられていた。建設地として特に有力だったのは2候補で、OLC(京成電鉄と三井不動産連合)が推す千葉県浦安町(現・浦安市)と、三菱地所が推す静岡県清水市(現・静岡市清水区)が、激しく競り合う構図だった。 「東洋に“夢の国”を――」 この世界初となるミッションを当初、優位に進めていたのは「富士山麓」を主張していた三菱地所だった。しかし、立地条件や気候
「ただの記号論なんですよ、セルなんて。マーカーでアスカの絵が描いてあって、そこから宮村優子の声がすれば、もう十二分にアスカなんですよ」 庵野秀明が『月刊Newtype』のインタビューでそう言ったのはもう二十数年前の1996年6月号、最終回26話が放映されてファンの間で大論争になった直後のことだ。それはセルアニメーションにこだわるアニメファンを痛烈に批判し、これはただの紙に描かれた絵だ、現実に帰れと突き放す当時の有名な文脈の中で出た発言ではある。 だが逆に言えばその言葉は、日本のアニメーションにとって声優という存在がどれほど大きな存在であるか、キャラクターの身体性とヒューマニティ、アスカがアスカである自己同一性が宮村優子の声によってかろうじて視聴者と繋がれていることを意図せずに吐露した作り手の告白にもなっている。 エヴァンゲリオンのアフレコにおける庵野監督のこだわりを知らないファンはいない。
神奈川県知事選(4月9日投開票)で4選を目指し、立候補している黒岩祐治知事(68)が、11年間にわたって年下の女性と不倫関係にあったことが、「週刊文春」の取材でわかった。 黒岩氏は灘中・高を経て、早稲田大を卒業し、1980年にフジテレビに入社した。『報道2001』のキャスターを15年ほど務めた後、2011年の神奈川県知事選で初当選。3期12年の実績を引っ提げて戦う今回の選挙は自民、公明、国民民主各党の県連から推薦を受け、他候補をリードしている。“選挙公約”で筆頭に挙げるのは、〈パパママ目線を踏まえた保育環境の充実〉などを掲げた子ども政策。さらに女性政策にも力を注いでおり、〈生活困難女性支援の強化〉などを訴えている。
◆◆◆ 「確率的に確からしい」という言葉を続けるロボット ――最近、ChatGPTという言葉をよくインターネットで目にします。なんとなく「こんなことができるのかな……?」というイメージは湧いているのですが、具体的なサービス内容を簡単に教えてもらえるでしょうか。 深津貴之氏(以下、深津) 一言で言えば「人間の言葉で質問すると、人間の言葉で答えてくれるロボット」です。 例えば、質問に答えてくれたり、相談に乗ってくれたり、長文を要約してくれたり……。これまでの“検索”とは違って、人間的な知性があるかのように“文章で返答をしてくれる”のが大きな特徴というサービスですね。 お昼ごはんについて質問したときの回答。これまでの“検索”とは良くも悪くも勝手が違うことがよくわかる これはAIに大量の単語を学習させることで、「直前の単語に対して、最も可能性が高い次の単語を予測している」んです。例えば「むかしむか
安済 はい。千束とたきなのオーディションだったのですが、いただいた資料に書かれていた世界観にすごく感動したんです。だから「この2人の役じゃなくてもいいから、この作品に出たい!」と思いまして、千束とたきな、両方受けました。 若山 私はたきなだけを受けさせていただこうと、テープを送って……。 安済 一本釣りだね! 若山 カツオみたいに言わないでください!(笑) 安済 ごめんごめん(笑)。その後、「掛け合い」のオーディションがあったんです。この作品は掛け合いが大事なので、と。 若山 だから技術的なことよりも、相手の話した言葉をどう返すか、ということを考えていました。 井ノ上たきな役の若山詩音さん(左)、錦木千束役の安済知佳さん ──それで合格されて、お2人で何か話し合われたことはありましたか? 安済 コロナもあったし、芝居についてはあまりなかったですね。役が決まったときに別の作品で詩音ちゃんと一
鷹ノ巣山で中年カップルが露出プレイ 小島隆一さん(仮名、36歳)は、週末になると北アルプスや南アルプスの山に行くキャリア10年のハイカー。今年の春、その北アルプスでこんな迷惑な登山客を目撃したという。 「登山系YouTuberらしき人がモジュラーを装着したGoProを手に持って、ひとりでブツブツ実況しながら登山道を歩いていたんです。それだけなら『ウザいな』と思うだけですが、マジで迷惑だったのは山頂の記念碑で長時間撮影していたこと。 見晴らしのいい山頂付近は、みんなが記念写真を撮影する場所なので、撮り終わったらすぐ次の人に場所を空けるのがマナーです。ところが、そのYouTuberは山頂の撮影スポットをひとりで独占し、GoProに向かってずっとしゃべり続けていた。 5年くらい前まではインスタグラマーとかの映え系女子にそういう迷惑行為をする人が多かったんですが、映え系女子の次はYouTuberか
当選時は「年収400万くらい」のサラリーマン ――10年前にスポーツくじ「BIG」で6億円が当たるまでの暮らしぶりはどんなものでしたか。 ぽんぽんさん(以降、ぽんぽん) 当時年収は400万くらいの、普通のサラリーマンです。月に何回か都心の方に出て外食したり、ドライブで郊外の方に行って夜景を見るとか、贅沢というとそんな感じでしたね。 ――ギャンブルはしましたか? ぽんぽん いえ、スポーツくじだけです。自分で言うのもなんですけど、お金に対するリテラシーは昔からわりと高くて、家計簿も若いときからつけてました。 ――6億円が当たってからも家計簿は継続して。 ぽんぽん はい。昔はエクセルでつけていましたが、今はオンラインのやつですね。男性の平均寿命から残りの人生であとどれくらい使えるかを算出し、それに則って生活しています。だいたい、住宅ローン含め毎月100万円以内で収めるような感じですね。 6億円の
アイナ・サハリン(画像:「機動戦士ガンダム アーセナルベース」公式より) 収録は月1回くらいだったので、TVアニメのように毎週、役の気持ちを積み上げて、まとめていくということができないのは苦労しましたけど、憧れの小山茉美さんと共演できたのも光栄でした。 何より印象深いのは、ジオン軍のアイナと敵対する連邦軍のシローとの恋です。まるで『ロミオとジュリエット』のような困難の多い恋愛で、最終的にシローは片脚を失いながらアイナと二人で生きていくんですけど、「やっぱり戦争は良くない」ということがいちばんのテーマとして描かれていて。時を経ても色あせない作品だと、今でも思っています。あと、シロー役の檜山修之くんが熱かった(笑)。あの叫び声! リミッターがない感じで、「そんなに?」というくらいの声量と圧でエイヤーと来るから、私も心を揺さぶられて演じることができました。ありがたいことに、『ガンダム』シリーズに
◆◆◆ 広告会社勤務から「地獄の漫画家生活」に突入 ――1991年に「月刊少年ガンガン」創刊号で漫画家デビュー。いちばん忙しかったのはいつ頃ですか? 柴田亜美さん(以下、柴田) デビュー翌年に『パプワくん』がアニメ化されて、その数年後には「月刊少年ジャンプ」や「週刊ファミ通」での連載が始まって……。漫画家生活2〜3年目で、もう地獄でしたね。 当時の「ガンガン」って、エニックス(現スクウェア・エニックス)が初めて作った雑誌で、私はまだリクルートの子会社でイラストを描いていた時代。 実は雑誌のスタッフ全員が漫画1年生だったから、業界のルールや適切な仕事量もわからなかったんです(笑)。私も実践でしかスキルを上げられないと思っていたし、来た仕事は断るべきではないと思って働いていました。 月産150P。当時の柴田亜美先生の忙しさがわかる4コマ(漫画:柴田亜美公式Twitterより) ――当時だと、リ
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