これはスゴい。写真のちからというものを、あらためて思い知らされる。 どんな「ちから」かというと、わたしの発想を引っ張りだすチカラだ。ふつうでない角度からアイディアをひき出すちから、意図しない深さまで考え込ませるちからだ。 例えばこうだ。文の意味というものは、文脈にのっとってたちあらわれる。だから、文脈から切り離された文は、意図しない威力を発揮する。その前後はどんな内容なのかを想像したり、なぜこんな文を切り取ったのかと不審がったり。tumblr を漂う文は、それ自体で輝きを持つ。 写真も同様。エロや猫写真はともかく、tumblr を漂う画像は、ひとクセもふたクセもある。キャプションやURLから切り離されて、それ自体でわたしの価値観を試しにくる。何が写っているかによって、どういう意図でシャッターが押されたのかを想像するのだ。説明なしで写真に相対するとき、いつもより考えている。 そこには、写って