わたしは、学校教育じゃなくて、学習支援で いいじゃんと主張することがある。いつでも、どこにいても、何才でも、だれもが学習できる。それが大事なんだと。 こどもを 学校に いかせるというのは、親にとっては託児所に こどもを あずけるという意味もある。親だって、こどもとばかり 顔を あわせていたくない。こどもだって、そうだろう。そういう意味で、学校という居場所には社会的な意味があるんだと感じる ひとも いるだろう。ただし、「学級」という空間の是非についていえば、わたしは完全に否定的だ。学級というシステムが人間を ダメにしている。くるしめている。わたしは そのように かんがえている。 学級という空間の だめっぷりを 批判し、介入していくうえで、学習支援という視点は重要な意味があると おもっている。 わたしは訪問語学講座を ほそぼそとやっている。あるときには ひとりの学習者に ふたりで訪問するという
萩原久美子による『迷走する両立支援―いま、子どもをもって働くということ』は、ワーク・ライフ・バランスの問題が、「両立支援が整備されていない」ことの問題であるというよりは、「両立支援が充実してきた環境で働いているのに、仕事と家庭を両立することの苦しみは依然として存在する」ことの問題であることを見抜いた貴重なエッセイである。 両立支援が制度として整備され、それを活用できるようになっても、それを利用して実際に両立をすることによって、何かしらの妥協やストレスがある。同年代の男性社員(一部には専業主婦のサポートがある)と差をつけられる、夫が家事に協力的であるといっても専業集やパートの妻に比べて「子どもを十分にかまってあげられない」という負い目を感じてしまう、同僚の女性が時短勤務に不公平感をいだいている、などなど…。 そして結局のところ、子持ちの働く女性たちは、「これだけ苦労して両立する価値がこの仕事
2013-06-28 某ネズミの国の遊園地屋さんの人材育成方針に絡みついてみた 夜勤終わって昼からミーティングで、しかもそのあとにひさしぶりにバイトに説教五段の実力の片鱗を見せつけてすごい疲れた。俺は説教すごい得意だ。対面の説教ならそうそう人に負ける気はしない。人を説得する技術とあわせて、これが俺の身を助けてきた部分はかなり大きいと思う。能力はみずから発揮されることを望む、というのは俺の座右の銘に近いのだが、この能力が発動しても俺にはなんの快楽もない。ただ疲れるだけだ。この能力の半分でも小説を書く能力に回っていたなら、いまごろ俺が書く小説のヒロインはすべてななさいだ。 んでまあ、すべての用事が終わってメシでも食ってくるかなあと思ったけど読む本がないので古本屋に行った。疲れはてたときには新書がいい。なんかそれっぽい本ないかなあと思ってたら、本棚になんか青っぽい背表紙の本がたくさん並んでて、な
橋下の唱える「フェアな競争」を体現したような囲み取材(5月30日)。メディアは下りられるのか(筆者撮影) 取材・文/ 松本創(ジャーナリスト) 【第2回】はこちらをご覧ください。 時間無制限、何でも質問OK、フルオープンの場 「僕がやってるこの囲み取材は、たぶん日本の政治家では(他に誰も)やってない、ある種特殊な取材。時間無制限で、質問も何でもOKだ」 「こういう(特殊な)囲みをやってるという認識の下に、記者は記者なりの矜持を持って権力者側と対峙してもらいたい」 「僕は質問を受けて、『コメントはしません』とか『後日ペーパーにまとめます』ということをやらなかった。やらないという主義で(囲み取材を)やってきた」 5月20日、いったん中止を宣言した囲み取材をやっぱり続けることにした際に橋下徹が記者団に語った言葉である。 いずれも彼が常々誇らしげに語っていることだが、付け加えて言えば、記者クラブ加
はじめにお詫び申し上げます。図書館関連の方々ごめんなさい。たぶん、不快なエントリーです。 ずっと疑問でした。大学図書館でレポートの書き方を教えるという話は何の専門性から登場する話なのでしょうか? 「内容の指摘よりも、書式や日本語文法、用語の使い方、誤字・脱字の指摘の数の方が多い」.図書館登場せず. (はてなブックマーク - なぜ大学教員の端くれたる私はレポートを返さないのか - 発声練習より) 大学教員は分野問わず、基本的に論文書いたり、本書いたりするのが主業務としてあります。このため、レポートの書き方を教える資質の妥当性は「論文執筆および本執筆の経験者」という点から発生すると思います。一方で、大学図書館の司書の方々がレポートの書き方を教える資質の妥当性は何に由来するのでしょう? ja.wikipedia: 司書講習の中身をみると、文書作成技術について教えるような科目はないです(もちろん、
本のページを切断・裁断せずに書籍をデジタルデータに変換するスキャン作業を複雑な操作なしで行えるようにしたのが「ScanSnap SV600」です。高被写界深度レンズ、ライン型CCDセンサー、高指向性LED光源を組み合わせた「VIテクノロジー」を搭載し、離れた位置から原稿を読み取ることが可能ということで、実際に実機を借りて本をスキャンしてみました。 ScanSnap SV600 : 富士通 http://scansnap.fujitsu.com/jp/product/sv600/ 実際にScanSnap SV600を使用している様子は以下のムービーから確認できます。 非破壊自炊が簡単に行えるスキャナ「ScanSnap SV600」を使ってみました - YouTube ということで、どのようにして上記ムービーにまで至ったかというと、まずはここから、ScanSnap SV600が編集部に到着した
自民党職員の胸ぐらをつかみ、渡邊氏の公認に抗議する父親の森豪さん。=28日午後3時頃、自民党本部正門前 写真:山田旬= 社員に月141時間もの残業を強いるなどして過労死に追い込んだ居酒屋チェーン店「和民」。創業者で苛酷労働を賛美していた渡邊美樹元会長(53歳)が、参院選全国比例区に自民党公認候補として立候補する。 過労の末に自殺した元和民社員、森美菜さん(当時26歳)の両親がきょう、渡邊氏の立候補取り消しを求めて自民党本部を訪れた。 両親は選挙対策の政治家との面談を求めていたのにもかかわらず、自民党は職員を出して対応した。それも門の外側で、だ。 あまりにも不誠実な対応に父親の豪さん(65歳)は職員の胸ぐらをつかんで詰め寄った。「どうしてワタミを候補者にするんだ? 私たちは5年間、毎日毎日苦しんできたんだ…」。 母親の祐子さん(59歳)は、美菜さんの遺影を抱いて夫に寄り添った。「私たちは政治
このダビデ像は1463年にアゴスティーノが請負、像の脚部と胸部や衣服の概観、脚と脚の隙間を空けるところまで制作したものを1501年にミケランジェロが引き継いだものです。 また、この大理石がミケランジェロが彫り出すより40年ほど前に採掘されたもので、アゴスティーノ(ディ・ドゥッチオ)とアントニオ(ロッセリーノ)の二人が手をつけながら、技術が足りなかったことと大理石そのものにも問題があり、途中で断念した、けれども ミケランジェロが完成させたということになっています。 歴史上のダビデ王は割礼を受けていたはずですが、このダビデ像については、聖書にもとづいたものではないという説もあります。 また「ダビデ」はダビデ王ではなく、モデルの名であると言う説もあります。 さらにルネサンス期には古代ギリシアの美学的理想を模倣しているので、割礼の跡を描いては台無しになると考えたとも言われています。 ドナテッロのダ
大阪市教委は27日、全国最多となる民間人校長35人の公募に対し、応募は142人(速報値)だったと発表した。民間人校長を11人採用した前年の2012年の公募は、928人と6倍以上の応募があったが、人気は急落。市教委の担当者は「もっと来てほしかった」と肩を落とす。 市教委は外部人材活用をめざす橋下徹市長の意向を受け、来春採用する民間人校長を24日までの約1カ月間公募した。応募者の内訳(第1希望)は小学校81人▽中学校42人▽高校19人。 市教委は伸び悩みの原因について、(1)公募2年目で注目度が下がった(2)「学校選択制の下で選ばれる学校」など具体的なリポート3題を課しており、1題だった前年より負担が増した、などと推測している。 続きを読む最新トップニュースこの記事の続きをお読みいただくには、会員登録が必要です。登録申し込みログインする(会員の方) 無料会員登録はこちら朝日新聞デジタルのサ
わいせつ石こうの村 ぼくの産まれ育った村は、わいせつ石こうの村だった。ぼくの父さんも、おじいさんもわいせつ石こう職人だったし、村中でわいせつ石こうに関わらない人なんていないくらいだった。型どり師から行商人、いろいろな人がいたけれども、それぞれにわいせつ石こうの村の人間だという自負を持って生きていた。とうぜん、ぼくも将来は立派な石こう職人になるものだと思っていた。 わいせつ石こうの歴史 この村がいつごろできたのかははっきりしない。あるものは、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した際に連れ帰ってきた職人が作ったといい、あるものは、仏教伝来のさいに渡来した仏像師たちの中から、わいせつ石こう造りに目ざめた一派が作ったという。日本に漂着したポルトガル人の末裔だと信じる一家もいたし、また、スウィフトの『ガリバー旅行記』の中に記述があるだとか、マルコ・ポーロが言及しているとか、いろいろなことを言う人がいた。父さんはイ
沢田マンション(さわだマンション)は、高知県高知市薊野北町一丁目に所在する集合住宅である。鉄筋コンクリート建築を専門職として手掛けたことのない夫婦が(のちにはその子も加わって)建築した。鉄骨鉄筋コンクリート構造、敷地550坪、地下1階地上5階建て(一部6階)、入居戸数約70世帯、約100人居住。 増築に増築を重ねた外観から、軍艦島と並んで「日本の九龍城」とも呼ばれ、建築物探訪の名所のひとつとして知られる。通称「沢マン」(さわマン)、「軍艦島マンション」。 概説[編集] 沢田マンションの夜景(南側より) - 2007年12月11日撮影 南西側より。2016年8月12日撮影 沢田嘉農(さわだ かのう、1927年8月11日 - 2003年3月16日)は、高知県幡多郡七郷村(現・黒潮町)加持川字日の川出身[1]。蕨岡尋常小学校5年の時、月刊誌『家の光』で見たハイカラな「アパート」の様子に憧れ、集合
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