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2018年9月14日のブックマーク (3件)

  • 「過激すぎる表紙のラノベを置く場所を考えろ」は快不快の問題ではないと何度言ったらわかるのか : 九段新報

    九段新報 犯罪学オタク、新橋九段によるブログです。 日常の出来事から世間を騒がすニュースまで犯罪学のフィルターを通してみていきます。 シュナムル@chounamoulきょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景。自分の属する性別の体が性的に異様に誇張されて描かれ、ひたすら性的消費の道具として扱われる気持ち悪さは想像できるし、それを子供の眼前に公然と並べる抑圧はほ… https://t.co/pjlEEdKFpj 2018/09/08 22:48:47 このツイートについてです。当該ツイートは過激化するライトノベルの表紙の「暴力性」について言及しており、どこまでが書店の平積みに適する表紙なのかという議論はあるとしてもその指摘は至極真っ当なものというほかないでしょう。 しかしいつもの表現の自由戦士たちは、その指摘へまともに反論するどころか正確に解釈することすらま

    「過激すぎる表紙のラノベを置く場所を考えろ」は快不快の問題ではないと何度言ったらわかるのか : 九段新報
    flatfive
    flatfive 2018/09/14
    まずもって人間は必ず異性を性的に消費するわけで、”性的消費はNG”という原則は非現実的で成立し得ない。ソコは認めないと話にならない。それに”性的消費”と”人間性を認める”事は矛盾しない。
  • 昔々、私はリベラルだった。

    tarafuku10 @tarafuku10 米国 #WalkAway ムーブメントの主唱者、ブランドン・ストラカの声明ビデオを訳してみた。彼は1年ほど前まで民主党支持者だったが、左翼/リベラルの独善性に嫌気がさして離脱。ほかの人にも離脱を勧めている。ストラカはもともとはゲイ・ライツの運動家。 youtube.com/watch?v=51UGcg… 2018-09-12 01:46:46 tarafuku10 @tarafuku10 昔々、私はリベラルだった。実のところ、1年前の今頃でさえ私はまだリベラルだった。私がリベラルになった理由は、自分が大切だと思う価値を共有する仲間を見つけたと思ったからだ。私は、あらゆる種類の人種差別を強く拒む。性別や性的指向に基づき人を疎外することを拒む。専制的な集団思考を拒む。 pic.twitter.com/BvHenZn1b1 2018-09-12 01

    昔々、私はリベラルだった。
    flatfive
    flatfive 2018/09/14
    一部の先鋭化と全体の陳腐化はムーブメントの常だし不可避だと思うのだけど、どうも右に比べて自浄が弱い気がしてならない。題目の美しさで中間層からハッキリ批判されにくいからか。
  • 『福田恆存の「進歩主義の自己欺瞞」』

    (いすけ屋) ちょいと以前、「アベ政治を許さない!」と叫んだり、「安倍に言いたい、お前は人間じゃない。叩き斬っ てやる!」とわめいたりしていた有識者?がいた。もと北海道大学の先生だったかな。ところが五十七年も前に、まるで彼について書かれたような福田恆存の「進歩主義の自己欺瞞」という文章がある。 (潮匡人「誰も知らない憲法9条」より) < 日の進歩主義者は、進歩主義そのもののうちに、そして自分自身のうちに、最も悪質なファシストや犯罪者におけるのと全く同質の悪がひそんでゐることを自覚してゐない。一口に言へば、人間の質が二律背反にあることに、彼等は思ひいたらない。したがって、彼等は例外なく正義派である。愛国の士であり、階級の身方であり、人類の指導者である。そのスローガンは博愛と建設の美辞麗句で埋められてゐる。正義と過失とが、愛他と自愛とが、建設と破壊とが同じ一つのエネルギーであることを、彼等

    flatfive
    flatfive 2018/09/14
    “そこには一滴のユーモア(諧謔)もない。ユーモアとは相手の、そして同時に自分の中のどうしやうもないユーモア(気質)を眺める余裕のことだ。”