以前、出来心で栗本薫の小説を『中島梓の小説道場』の文体模写で評するというのをやったんですが、それが一部の人にいたく評判が良く(?)て、定期的に「小説道場はいつはじめるんですか?」という意味不明なことを聞かれる。 おま、素人のおれが道場開いてどうすんだよw むしろおれが評をもらいたいよ! つうかいろいろめんどくさそうだから嫌だよ! と思いスルーしつづけてきたのですが、そうこうしているうちに道場主が本当に死んでしまった。 以来、なにを勘違いしたのか小説道場の希望者が微妙に増えた。 なので、ある意味追悼企画的な感じで、ちょっと数回ほど小説道場ごっこをやってみようかと思います。で、その時のノリ次第で続いたり続かなかったりする予定です。 小説道場を知らない人のためにちょっと説明。 『中島梓の小説道場』というのは、かつてあったBL系雑誌の草分け的存在『小説june』において中島梓(栗本薫)が主催してい
画像は毎日新聞さんのニュースサイトからいただきました。 グインサーガプレミアム試写会より。 勝手に切り貼りしてすいませんが、これが一番綺麗な薫だったもので……。 さて。 さよなら栗本薫 ……なんて題してますけど、ちっともそんな気持ちはないんですけどね。 いや「栗本先生は今もこの胸に息づいている」とかALIVEなことを云っているわけでもないんですが。 率直に云ってしまえば。 以前、三年前(もうそんなにもなるのか)お茶会に行ったときにも書いたように、自分の中ではとっくの昔に「栗本薫」は死んでいた。死んだものを「死んでいない」と誤魔化しつづけていた。その事実に、三年前に気づいた。 厳密に云えば、おれがファンになった1994年、まさにその頃、作家「栗本薫」は衆人環視の中でひそやかに死んでいたのだ。 あとに残ったのは「栗本薫だった人」、ただそれだけだ。おれは三年前、その棺桶を開けて覗きこんで来た。そ
2009年5月26日夕刻、栗本薫が亡くなったらしい。 27日11時半、寝ぼけ頭でそれを知った自分は「あ、そう」と思った。「ふーん、ついに死んだんだ」 別にショックではなかった。膵臓ガンだというのはずっと前からわかっていたし、早晩死ぬのは明白だった。膵臓ガンという病の重さから考えれば、ずいぶんと長生きした方だとすら思う。 だからまあ、死ぬのはいいんだ。死ぬのは当然で、そしてしょうがない。 それから「栗本薫が死ぬってどういうことだろう」と思い「栗本薫が死んだのに、おれはなにをやっているんだろう」と思った。 なにをやってるんだろうって、なにもやれることもやるべきことも、おれにはないだろう? とりあえず、作家・栗本薫(評論家・中島梓)の主な経歴をまとめてみたいと思う。 1977年 中島梓名義で群像新人文学評論賞受賞 1978年 『ぼくらの時代』で江戸川乱歩賞受賞 1979年 ライフワークとなるファ
とは 七月の終わりごろに発売され、買って読んだ後に放置していて時期を逸したが、なんとなくいまさら言及してみる。 文字通り、栗本薫の追悼号で、誌面の半分近くが栗本薫関係に割かれている。 内訳は カラーページでグインサーガギャラリーが4P。 『グインサーガ読本』にも収録された習作短編ファンタジー『氷惑星の戦士』再録 『心中天浦島』に収録されているリリカル短編SF『遥かな草原に』再録 SFマガジン79年10月臨時増刊号に掲載された評論『語り終えざる物語 ヒロイックファンタジー論・序説』再録 作家を中心とした関係者諸氏による、一人一ページの追悼文が12P 評論家五人による栗本薫の各作品論が2Pずつ計10P グインサーガ全ストーリー解説が10P。 栗本薫の経歴解説が4P。 栗本薫全仕事リスト(お別れ会で配られた小冊子に載っていたのと同じ物)が10P。 一雑誌に割く量としては、非常に充実している。 あ
道場! と、いうわけで復活した小説道場の第二回目をはじめようと思うのだが、困った事態が発生してしまった。なんと投稿作がないというのだ。 ま、正確に云うと栗本・ファイティング・薫門弟(なんと「名誉一級などいらない、五級でやらせてくれ」という申し出があった。勝ち気なやっちゃ。先生は薫くんのそういうところは好きだぞ)から『流星のサドル』『タトゥーあり』と二作も届いているのだが、どちらも400枚の長編ゆえ、まだ門番たちが読めておらず、また諸事情からこの二作はまとめて次回あたりにでも回そうと思っていたのだ。 しかし他に投稿がないのならいたしかたない、今回は栗本門弟の作品を評しようかと提案したところ、門番がそれは待ってほしいと泣き言を云ってきおった。ではどうするのだ、他に投稿作はないのだろうといじめてやると「実は一作、あるにはある」と云うではないか。なんだ、あるのならば問題ない。どれ、持って来るがよい
「歴史」をとりあえず「記述された歴史」という狭義の意味で定義してみよう。次に、この「記述された歴史」が、実際に起きた出来事としての歴史と等しいものかどうか検討してみよう。たとえば史料において、われわれは戦国時代の日本には織田信長という人がいたことを知る。しかし、もちろん同時代には彼以外にも何千万ものの無名の人々がいたのであって、しかし彼らについては、われわれはおそらく永遠に知ることができない。また、「言語論的転回」*1を経た今日では実際に起きた桶狭間の合戦と史料に記述された桶狭間の合戦の間には、どんなに信頼できる史料だろうとなお、埋めることのできない差異があることは常識である。 以上のことから、「歴史」は「物語」*2であるという言説が産まれる。それはある種の人々、たとえば「新しい教科書をつくる会」のような人々にとっては都合の良いナショナル・ヒストリーを構成するための言い訳であり、このような
Eight years after the terrorist attacks of September 11th, 2001, we remember and here, take a look back, and a look at the present. This year's remembrance is emphasizing volunteerism and service, honoring the private citizens that volunteered after the attacks and encouraging the observance of the anniversary to be a day of service. Construction at Ground Zero, the site of the former twin towers,
古い記録を見ていて、大学一年の頃、ブライアン・オールディスの『手で育てられた少年』というのを読んだことを思い出した。この題名は要するにオナニーのことで、しかし別に面白くはなかった。確か『幻想文学』で書評されていたので読んだのだろう。 SFと私小説というと対極にあるように見えて、存外そうでもない、新井素子なんかもろに私小説を書くし、吾妻ひでおもそうだし、「ソラリス」なんて一種の私小説、とか書こうとしたのだが、別にそれを言ったら大衆作家がふと私小説を書くというのはよくあることだし、いま挙げた例はあまりに恣意的かつ少ないし、どうせ究極のアウタースペースとインナースペースが一致するとかそういう話になるのは見え見えだし、バカバカしいので書くのをやめた。これは捨てネタである。 - 『小説トリッパー』で小沢自然が小野正嗣の小説を書評しているんだが、それって明らかに仲間褒めじゃないか。小沢よ、そういうこと
2008年12月31日のニューヨークタイムズに「カンボジア-買春と人身売買-拷問の声」と題された記事が掲載されました。ニコラス・クリストフ氏がシナ・ヴァンという女性について紹介しています。シナ・ヴァンさんが今現在買春宿から少女たちの救出のために勤務しているカンボジアのNGO、AFESIPはシーライツのパートナー団体です。シナ・ヴァンさんが現在に至るまでの自身の買春宿での体験やどうやって買春宿から解放されたか、そして現在についてなどについてインタビューを受けた時の記事です。が以下その和訳です。 貧しい国の買春街では、訪れた西洋人の男たちが、10代の笑顔のコケティッシュな女の子達に囲まれ、買春宿に誘われることが多い。男たちは、「女の子達は自ら進んで道に立っている」と思い込んでいる。彼らの思い込みが当たっていることもあるだろう。 しかし、女の子達の笑顔をそのまま受け取ろうとする人は、かつてその笑
島崎藤村 『春』(明治41年発表) に、樋口一葉がちょっとだけ登場する。藤村たちが出していた同人雑誌 『文學界』 に一葉が加わったのだ。 舞台は明治28年。「堤さん」 と書かれている女性のモデルが一葉である。以下、岸本は藤村、菅は戸川秋骨、足立は馬場孤蝶、市川は平田禿木となっている。 「どうだね、これから堤さんの許(ところ)へ出掛けて見ないか。足立君も行ってるかも知れないよ」 こう菅が言出した。 よく女の力で支えられている家庭が世の中には有る。そういう家庭には、よし男が有っても意気地が無いとか、働がないとかで、気象のしゃんとした人は反(かえ)って女の方にも見受けられる。堤の家も矢張そういう風のところであった。そこには堤姉妹が年老いた母親にかしずいて、侘しい、風雅な女暮しをしていた。いずれも苦労した、談話(はなし)の面白い人達であったが、殊に姉は和歌から小説に入って、既に一家を成していた。こ
馬場辰猪 馬場 辰猪(ばば たつい、嘉永3年5月15日(1850年6月24日) - 明治21年(1888年)11月1日)は、日本の武士(土佐藩士)、思想家、政論家。民権思想家として藩閥政府と対立、最も急進的で国粋的な『國友会』を組織した人物。諱は氏保(うじやす)、通称として辰猪を称す。 嘉永3年(1850年)、土佐藩士・馬場来八(小姓組格、のち馬廻役)の二男として土佐国高知城下中島町に生まれる。藩校「文武館」で学び、江戸留学の藩命を受けて慶応2年(1866年)、鉄砲洲にあった中津藩邸の福沢塾(後の慶應義塾)で政治史、経済学を学ぶ。その後、長崎に赴いて長崎英語伝習所にてオランダ人宣教師グイド・フルベッキに英語を習う。明治2年(1869年)、慶應義塾に戻り、のちに教師も務める。明治3年7月12日(1870年8月8日)、土佐藩の留学生として真辺正精、国澤新九郎、深尾貝作、松井正水らとイギリスに留
孤蝶は土佐藩士馬場来八の四男として、土佐国土佐郡(現・高知市)に生まれた。本名は勝弥といい、19歳上の次兄に自由民権運動家の馬場辰猪がいる。病弱で就学せずに、1878年両親と上京し、下谷茅町(現・台東区池之端二丁目)の忍ヶ丘小学校から三菱商業学校に進んで中退し、1884年から、共立学校で英語を学んだ。少年期から寄席に入り浸った[1]。浄瑠璃を語った。弓術・盆栽・将棋・パイプ・俳画・古書漁り・旅行と、趣味が広かった。 明治学院24年度卒業写真、中央列右から3番目が孤蝶、最後列左から2番目が島崎藤村、4番目が戸川秋骨 1889年(明治22年)(20歳)、明治学院2年に入学し、島崎藤村、戸川秋骨と同級になった。1891年卒業後、各地で中学の英語教師を勤め、その間の1893年1月創刊の文学界に、秋から加わり、詩、小説、随筆を載せた。1894年3月、樋口一葉宅を初めて訪れ、また、斎藤緑雨、秋骨、平田
「たけくらべ」で有名な樋口一葉(1872-1896)の見た夜空です。 一葉の残した多数の日記のなかには、月の様子などを記した部分がいくつか残されています。 そんな記述を手がかりに、その夜空をシミュレートさせてみました。 「全集 樋口一葉3/日記編」(1)で、本郷丸山福山町住まいの頃を綴った「水の上」期の日記、 「水の上につ記」から明治28年5月10日のなかに次のような部分があります。 十日 姉君来訪。ついで秀太郎も来る。長くあそびたり。日暮れて、馬場君、平田君袖をつらねて来らる。 今日、高等中学同窓会のもよほしありて、平田ぬし其席につらなりしが、少し酒気をおびて、「一人寐ん事のをしく、 孤蝶子を誘ひて君のもとをとひし成り」といふ。 このほどの夜とかはりて、いと言葉多かりし。孤蝶子、例によりてをかしき事どもいひちらす。 哲理を談じ、文学をあげつろうに、ほこ先つよし。 夜はいつしか更けて、十時
『サマーウォーズ』を発表したばかりの細田守監督が、スタジオジブリで『ハウルの動く城』を撮り損ねたことは、わりと知られた話だろう。 最終的に宮崎駿が作り上げる『ハウル』を、「家」を逃れた老女が自ら「家」をでっちあげるまでの冒険物語…と乱暴に要約してみる。『サマーウォーズ』は、その『ハウル』を作ることのなかった演出家の新作、というふうに受け取ることもできる。 そしてこの映画を、家族の結びつきの中心にいる老女が、一家の使命を強調しつつ世を去る物語、とこれまた乱暴に要約してみる。と、どこか、後退戦の気配が漂い出さないだろうか…「おばあちゃん」の映画として。 「女系家族なんだよ」と作中人物に言わせてはいるけれど、『サマーウォーズ』で戦いを率先して担うのはもっぱら男たちだ。戦う女性は、戦う男たちを鼓舞するシンボルとして恭しく奉られるばかり(なぎなたを振り回すビッグマザーと、吉祥天女化するヒロインと*1
ほそだ・まもる 1967年、富山県生まれ。91年に東映動画(現・東映アニメーション)入社。アニメーターとして活躍した後、演出に転向。2005年からフリー。主な作品に『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』(2000年)、『時をかける少女』(06年)。ルイ・ヴィトンのイメージ映像『SUPERFLAT MONOGRAM』(03年)も監督。 アニメーション映画『時をかける少女』で国内外の注目を集めた細田守監督の新作『サマーウォーズ』が8月1日から公開される。世界の危機に家族のきずなで立ち向かう“大家族アクション映画”だ。日本アニメの作り手は何を目指し、世界観はどこまで広がっていくのか。アニメやマンガのイメージを取り入れた作品が海外で高く評価されるアーティストで、細田氏とも交流のある村上隆氏と語り合ってもらった。2回にわたって紹介する。(聞き手・恩田泰子) 村上 『サマーウォーズ』は細田
「海外のヤングアダルト小説を、早川書房とメディアファクトリーが日本で出すとこうなる」 http://d.hatena.ne.jp/Iron-9/20090202/japanize を読んで。本人は日本版の表紙をたいそう喜んでいるらしい。 ウェン・スペンサー作品はずっと前書いたが、ノリは完全にライトノベル。『ティンカー』は中国のワープ実験の失敗によりファンタジー世界につながってしまった田舎でスクラップ屋をする天才少女の話。悪くはないんだが日本人には中国とチャンポンの「オニヒダ」の描写がいまいちかも。女たちの王国は未読だが、なにやら異常にマッチョな女性ばかり出てくるらしい。日本の同様の作品とは違うようだ。 最近読んだ『エイリアン・テイスト』は米国SFドラマ+ホームドラマ風味。狼に育てられ、相手の血を舐めただけで居場所を突き止める野生の能力を持つ青年がFBI女性捜査官と組んで事件に巻き込まれる。
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