『桜姫東文章』(さくらひめあずまぶんしょう)とは、歌舞伎の演目で清玄桜姫物および隅田川物のひとつ。七幕九場、四代目鶴屋南北ほか作。文化14年(1817年)3月、江戸河原崎座にて初演。 月岡芳年「清玄堕落之図 」 (以下の内容は、昭和42年〈1967年〉3月の東京国立劇場上演〈郡司正勝補綴〉のときの台本に拠る) (発端 江ノ島稚児ヶ淵の場)修行僧清玄は、稚児白菊丸と心中をはかるが、生き残ってしまう。 (序幕第一場 新清水の場)十七年後に話は飛ぶ。吉田家の息女桜姫は美貌ながらも生まれつき左手が開かない障害を持っている。そこへ父と弟梅若丸が殺害され、家宝「都鳥の一巻」の盗難と不幸が重なり、悲しみのあまり世をはかなんで出家しようと、新清水(鎌倉の長谷寺)にやってきたのであった。おりしも居合わせた高僧清玄坊は、姫を不憫に思い念仏を唱えると、姫の左手が開き香箱が現れる。そこには「清玄」と書かれてあった