タグ

ブックマーク / www.msz.co.jp (79)

  • 国境なき医師団 | 終わりなき挑戦、希望への意志 | みすず書房

    書において、国境なき医師団が、アフリカからロシアまで、戦場や震災地、スラムに赴き、エイズ、結核、マラリアなど様々な病気と闘う様子が描かれている。医師団の、その熱意に満ちた行動は、どのような信念に支えられているのか。 そして、彼らは、行動にあたって、人道支援の境界や任務遂行に伴うリスクにどう対処しているのか等々、理念と活動、組織の有り様を詳述する。 また、誕生から現在までの歴史・展開も解説する。組織としてのノーベル章受賞(1999年)の際のスタッフ間の活発な議論も読みどころである。米国を代表する医療社会学者による決定版と言えるだろう。 国境なき医師団として、いつどこで介入すべきか、そのタイミングの重要性。人員、物資、資源の配分の仕方はどうしているのか。長期プロジェクトと短期緊急の判断はどう区別しているのか。個人への対応と共同体への支援のバランスをどう考えるのか、など。著者自身が活動に参与し

    国境なき医師団 | 終わりなき挑戦、希望への意志 | みすず書房
    florentine
    florentine 2016/02/22
    あとで
  • 哲学への権利 2 | みすず書房

    デリダの哲学教育論の集大成。第2巻では哲学が拠って立つ制度のすべてを問い直し、来たるべき哲学教育の構想を展開する。 〈私たちがここで提案している図式にしたがうなら、産業時代の黎明期より西洋で支配的である大学制度モデルにおいて確立されてきた、哲学とさまざまな知の関係を問いに付すこと——そしておそらくこの関係を転移させること——に行き着く〉 近代哲学がその始まりから国家の言語政策と緊密な関係を持っていたこと、デカルト、カント、シェリング、そしてハイデガーに至る大学への問い、軍事政策が文系・理系を問わず学問的合目的性を軍事目的に転換する危険、哲学することは学びえないが、哲学するためには学ばなくてはならないこと… 哲学教育を破壊しようとする力の所在を正確に見抜き、哲学が言語=国民的な権威に幽閉されることなく、現代の様々な問題に接続していく新たな道筋を切り拓く。全2巻の解題を付す。 第II部 権威か

    哲学への権利 2 | みすず書房
  • 動くものはすべて殺せ【新装版】 | アメリカ兵はベトナムで何をしたか | みすず書房

    「民間人を殺害し、森の空き地や田んぼの排水路に死体の山を築いていたのは地上部隊だけではなかったのだ。ヘリコプターが襲いかかった村では、数え切れないほど多くの人が恐怖に駆られて走りだし、結局はM60機関銃の掃射に切り裂かれて命を落とした。ミライ事件をはるかにしのぐ大規模殺戮では、通例、重火器が用いられ、事務的に淡々と死体が量産されていった。(…) それがこの戦争質であり、ベトナムをテーマとする数万冊の書籍にほとんど描かれてこなかった真の姿なのだ」 4時間で500人以上の村人を虐殺したミライ(ソンミ村)事件は逸脱ではなかった。“動く者はすべて殺せ”という命令の下になされた軍事作戦の一部だったのだ。 国立公文書館資料の粘り強い調査や、事件にかかわった帰還兵や内部告発者、さらにベトナム人生存者へのインタビューによって、米軍と政府の施策がどれだけ多くの無辜の住民を殺し傷つけたか、そして軍司令部と

    動くものはすべて殺せ【新装版】 | アメリカ兵はベトナムで何をしたか | みすず書房
    florentine
    florentine 2015/09/29
    「国立公文書館資料の粘り強い調査や、事件にかかわった帰還兵や内部告発者、さらにベトナムの生き残り当事者へのインタビューによって、アメリカ軍と政府の政策がどれだけ多くのベトナムの無辜の住民を殺し傷つけ」
  • 機械としての王 | みすず書房

    君主の栄光を讃える壮麗な騎馬パレード、宮殿を舞台に繰り広げられる究極の宴。多彩な芸術が花開いたといわれる絶対王制の時代に、スペクタクルが果たした真の機能とはなんであったのか。封建的秩序と新しい価値観が並存する社会にあって、その中心に君臨しすべてを操ったひとりの王。だが権力は、やがて国王個人の身体を後景に退かせ、国家というひとつの不気味な機械として立ち現れる。 「偉大なる世紀」の神話が作られていくその陰で、比類なき君主は幽霊と化した……。ルイ十四世時代の王権国家における文化の変容を犀利に論じ、現代につらなる象徴システムの起源をさぐる、きわめて示唆的な著作。

    機械としての王 | みすず書房
  • ウイダーの副王 | みすず書房

    「何ゆえにこうした神秘に惹きつけられるのか、彼にはついにわからなかった。流血のせいなのか? 神のせいなのか? 汗の匂いや、濡れて光る肉体のせいなのか? この熱中を断ち切ろうにも彼の力はまったくおよばず、結局、アフリカが彼の運命なのだと納得して、彼はアフリカの花嫁をめとった。」 この物語は1970年代のベナンで始まる。ダ・シルヴァー族が各地から集まって、開祖フランシスコ・マノエルの没後117年を記念する祝宴が繰り広げられていた。 フランシスコ・マノエルはブラジルでの極貧生活に見切りをつけ、1812年、大西洋を渡り、西アフリカで奴隷商人として身を立てる決心をする。鉄の意志のほか何の武器も持たずに、ダホメー王から「副王」の地位を得た彼は、ウイダーの地で巨万の富を築き権勢を振るう。しかし、その栄光も長くは続かなかった……。 大西洋の両岸、二世紀の時間を舞台に、常軌を逸した出来事の連鎖の中のきらめく

    ウイダーの副王 | みすず書房
  • テツオ・ナジタ『相互扶助の経済』 | みすず書房

    「講」や「報徳」について、現代の私たちは意外に知らないかもしれない。それは当然だと、テツオ・ナジタは次のように説明する。 ――徳川時代、慢性的な飢饉と過酷な税制のもとで、民衆はたがいに助け合うしかなく、急な出費(借金の返済、病気、葬式…)に備え、村内・地域内で集団的な積立貯金ともいえる「講」をつくったり参加したりした。まさに、彼らのセーフティ・ネットだった。 ――しかし「講」とその発展形態ともいえる「報徳」は、公的・体系的な政治秩序の外側で形成された「民衆経済」だったから、何世紀にもわたって一般に注目されず、日歴史においても、基的には語られてこなかったのだ。 この「民衆経済」は、明治維新後はどうなっただろうか。たとえば1880年代初期、いわゆる松方デフレ政策が断行されると、民衆の暮らし向きはさらに悪くなる。産業革命が轟音をたてて迫りくるなかで、民衆は松方金融制度から自分たちを守るため

    テツオ・ナジタ『相互扶助の経済』 | みすず書房
  • きっかけの音楽 | みすず書房

    「音はすぎゆくものだから、それを書きとめれば記憶となり、死んだひとたちを忘れないための音楽にもなる。ことばも響きあいの不規則なリズムが身体に共鳴し、さまざまな意味となって散っていく。問いかけには、一つの答えがない。問はまた問を生み、すこしずつことばの風景は変わる。(…)のタイトルとなった「きっかけの音楽」は、シューベルトのMoments Musicauxから。いまふつうに「楽興の時」と訳されるが、もともとmomentは動き出す瞬発力を指すことば。クリナメン(偏り)ともどこか通いあう」——「あとがき」より 音楽の制度からすり抜けるように、ひっそりと、しなやかに、50余年にわたり独立した音楽活動をつづけてきた作曲家・ピアニスト高橋悠治の4年ぶりのエッセイ=批評集。 日々のメモとして書きつけられた言葉・声・音・音楽・世界のこと、そしていなくなってしまった友たちとの交感の記憶——書にあらわれ、

    きっかけの音楽 | みすず書房
  • レクチュール | 政治的なものをめぐって | みすず書房

    アーレントにヤスパース、ロールズ… よく知られた名前の一方に、フランス語圏で十全な理解と評価を得ていなかったドイツ系ユダヤ人哲学者エリック・ヴェーユ、共産主義政権下のチェコにあってその仕事のごく一部が公刊されていたにすぎなかったいヤン・パトチカがいる。彼らの著作に寄せられた序文や書評など、書に収められた一連のテクストは、フランス現象学のいわば第二世代を代表する哲学者ポール・リクールの、もうひとつの顔を刻んでいる。フランス思想と、その他の地域の既知・未知の思想との、卓越した橋渡しとしての顔を。 新しい思想に積極的に接近し、それと格闘することでみずからの思索を不断に刷新しつづけたリクールであるが、果実をひとる自分のものとしたのではなかった。 その読書と解釈は、「暴力と政治」という鍵概念を内包する現代世界と切り結ぶ、その道具・武器としての〈知〉を、読む者に届ける。 五月革命や、パレスチナ分割案

    レクチュール | 政治的なものをめぐって | みすず書房
  • ジャック・デリダ | みすず書房

    1930-2004。アルジェに生まれる。20世紀を代表する思想家。現象学の再検討から出発し、ニーチェやハイデガーの哲学を批判的に発展させる。脱構築、差延、散種、グラマトロジーなどの概念を作り出し、ポスト構造主義を代表する哲学者と目される。高等師範学校等の講師を経て、1984年から社会科学高等研究院でセミネールを実施。同時代の諸問題を西洋哲学の根問題とともに論じ、晩年は「来たるべき民主主義」の思考を練成させる。 日語訳された著書に『フッサール哲学における発生の問題』(みすず書房、2007)『エクリチュールと差異』(法政大学出版局、2013)『根源の彼方に——グラマトロジーについて』(上・下、現代思潮社、1972・1974)『声と現象』(筑摩書房、2005)『哲学の余白』(上・下、法政大学出版局、2007・2008)『散種』(法政大学出版局、2013)『絵葉書 I』(水声社、2007)『基

  • 哲学への権利 1 | みすず書房

    〈今すでに、哲学は後退し萎縮している。もしこのまま野放しにするのなら、明日、哲学はほぼ死んだも同然になるだろう。しかし、私たちは野放しにはしない〉 教育の効率化へと舵を切り、哲学教育の大幅な削減を求めるフランス政府の教育改革案に、デリダは理論と実践の両面から反対した。書はデリダの哲学教育活動の集大成である。 授業時間の削減、哲学教師の人員削減等、哲学教育そのものを縮小しようとする政府の動きに対し、デリダはGREPH(哲学教育研究グループ)を結成。教員・学生・一般市民を巻き込んだ運動を展開していく。 〈哲学的制度(研究や教育)を暗黙裡ないし明白に支えている法的な諸構造が、哲学そのもの〔…〕に対して取り結ぶ関係が問われるだろう〉 デリダたちの運動は、79年にソルボンヌ大学で開かれた公開討論会「哲学の全国三部会」に結実する。準備委員会には、ジャンケレヴィッチ、ドゥルーズ、リクール、ナンシーらが

    哲学への権利 1 | みすず書房
  • 西成彦『世界文学のなかの『舞姫』』 | トピックス : みすず書房

    florentine
    florentine 2014/09/21
    すっごく面白かったー!
  • 野生の樹木園 | みすず書房

    カラマツ、オーク、サクラ、ブナ、イチイ……こうして目次を眺めていると幸田文の『木』が思い浮かんでくる。女性の優しさに対して男性の剛さ、日に対して西欧という違いはあれど、『野生の樹木園』もまた、比類のない名著である。 前作『雷鳥の森』は「一行一行をゆっくり辿りたい」(高田宏)「心に染み入るような」(沼野充義)「命の通った言葉」(堀江敏幸)「すごい作家がいるものだ」(湯川豊)などと絶賛された。 北イタリアの作家リゴーニ・ステルンはなじみ深い20の樹木を選んで、その生態、歴史、効用を物語り、人々の文化に及ぼした影響を解き明かす。そこに「山の民」としての経験、「自然とともに生きていた時代」への郷愁が魂を吹き込んでいる。

    野生の樹木園 | みすず書房
  • おサルの系譜学 | 歴史と人種 | みすず書房

    「改めてこののタイトルを眺め、その内客を確認していると、英文学の研究を専門としている者の作るとしては少し異例なものであるような気がしてくる……このに収録した論文とエッセイをつないでいるのはヴィクトリア時代の文化、人種間題、ダーウィニズム、批評の方法論、歴史(学)といった線。それらはあまりにも雑然としていて、相互のつながりが見えにくいかもしれないが、私の雑学的言説の中では強烈につながっている。できあがったのは一種の自伝的なエッセイ集とでも言えばいいのだろうか」(あとかき)。 なぜ彼女たちは事をとらないのか? ルイス・キャロルはどうして動物の生体解剖にあれほど強く反対したのか? アイルランド人と黒人はどう関わるのか? 英国においてホッテントットのヴィーナスはどうしたか? アメリカの現代思想と語学力の関係は? 批評家ソンタグはその敬愛するバルトとどこが、どう違うのか? 他にも、ヴァージニ

    おサルの系譜学 | 歴史と人種 | みすず書房
  • 岡真理『アラブ、祈りとしての文学』 | トピックス : みすず書房

  • ジャッキー・デリダの墓:みすず書房

    「デリダについて書くことが、ずっと私にはできなかった。まして、彼についての著作であることを明示するようなタイトルを、自分ののために選ぶことは。書に収録された、彼の死去に続く日々に綴った文章のタイトルには、自分でも説明し切れない、絶望的な抵抗の痕跡が認められる。」 デリダ没後十年、ようやくここに書物のかたちをまとった文章群には、悲痛があり、内省があり、彷徨がある。各編の初出は、機会に応じて需められた。デリダに「師として、友として、いずれにせよ同時代を生きる一個の存在として接する機会に恵まれ、内心で、ときには実際に、彼と対話を始めてからの」作品群に誘発されつつ、『盲者の記憶』『名を救う』『マルクスの亡霊たち』『友愛のポリティックス』『精神分析の抵抗』『ならず者たち』など後期デリダの著作を論究し、そしてデリダの思考の糸に導かれ、ヘーゲル、フロイト、ラカン、フーコー、ジュネ、ナンシー、サファー

    ジャッキー・デリダの墓:みすず書房
  • 山本義隆『世界の見方の転換』全3巻 | みすず書房

    義隆『世界の見方の転換』全3巻 1 天文学の復興と天地学の提唱  2 地動説の提唱と宇宙論の相克  3 世界の一元化と天文学の改革 [2014年3月20日刊] 2014.03.31 [『数学文化』では新連載スタート 山義隆「小数と対数の発見」] すでに古典たる評価を得ている『磁力と重力の発見』『一六世紀文化革命』に続き、「なぜ、どのように西欧近代において科学が生まれたのか」を解き明かす。近代科学誕生史〈三部作〉を締めくくる待望の書き下ろし。2014年3月20日刊行。 プトレマイオス理論の復元にはじまり、コペルニクス地動説をへてケプラーにいたる15-16世紀天文学の展開は、観測にもとづく天文学を言葉の学問であった宇宙論の上位に置くという学問的序列の一大変革をなしとげ、「まったく新しい自然研究のあり方を生みだした」。それは、「認識の内容、真理性の規準、研究の方法、そして学問の目的、そのす

    山本義隆『世界の見方の転換』全3巻 | みすず書房
  • ヴェール | みすず書房

    ともにアルジェリアに生まれ育ち、生涯の特別な友である二人が、ヴェールについて、自伝的・遺言的に応答を交わした。 まずシクスーが、短いテクスト「サヴォワール」で口火を切る。強度の近視の女が手術を受け、はじめて「目で世界に触れる」。奇蹟の瞬間に訪れたものとは何か。 続いてデリダが「サヴォワール」を受けて、卓抜した論を展開する。ブエノス・アイレス、サンティアゴ、サンパウロ……飛行機の中で、二人の人物がひたすら語り合う。ヴェールとタリートについて、技術と自然について、審判について、そして真理について。 鍵となるのが、テクストの表題である「蚕」だ。自らの分泌物で自らを隠し、変成を遂げるこの小さな虫は、伝統的真理概念に潜り込み、密やかに真理の糸を産出する。 〈その成熟はただ一回しか起こらないが、それがかつてそうであったところのものになるために、与えられた時間をすべて要求するだろう。私はけっして、あなた

    ヴェール | みすず書房
  • ヒステリーの発明 上 | シャルコーとサルペトリエール写真図像集 | みすず書房

    「今日われわれに、『サルペトリエール写真図像集』が残されている。すべてがそこにある——ポーズ、発作、叫び、「熱情的態度」、「苦悩」、「恍惚」、あらゆる錯乱の姿態。写真のもたらすシチュエーションが、ヒステリーの幻影と知の幻影との絆を理想的に結晶させたがゆえに、すべてがそこに有るように見える。呪縛の相互作用が定着したのだ。すなわち、「ヒステリー」の映像を飽かず求めつづける医師たち——従順に身体の演劇性を増幅していくヒステリー患者たち。こうしてヒステリーの臨床医学はスペクタクルになった。〈ヒステリーの発明〉だ。それは暗々裡に、芸術にも比すべきものに自らを同一化していった。演劇や、絵画とも紛うものに。」 「サルペトリエール施療院は、いわば女の地獄、苦痛の都だった」。哲学と美術史を横断するディディ=ユベルマンのデビュー作。増補新版(2012年)を元にしてここに甦る。 まえがき I スペクタクルの明証

    ヒステリーの発明 上 | シャルコーとサルペトリエール写真図像集 | みすず書房
  • ゾミア | 脱国家の世界史 | みすず書房

    アカ、カチン、フモン、ラフ……。様々な人々が独自の社会を築いたインドシナ半島の奥地、ゾミア。この深い山中の民族文化や生業は、国家を回避するための戦略だった。世界の自由民たちが息づくグローバル・ヒストリー。 書のテーマはシンプルかつ深遠だ。スコットは言う。「原始的」な民族は、わざわざ、そのような生活習慣を選ぶことで、国家による束縛を逃れているのだ、と。 彼らが、焼畑に根菜類を植え、文字を使わず口承で伝え、親族関係を自由自在に変化させる文化を発達させてきたのは、権力からの自由と自治のための戦略だった、というわけだ。 さらにスコットの眼差しは、全世界に広がる。アメリカ大陸の逃亡奴隷によるマルーン共同体、ヨーロッパのロマ、ロシアのコサック……彼らの社会の成り立ちのなかにも、課税や奴隷化を逃れ、自由を希求する構えが読み込まれていく。 国家による管理の無力さを一貫して追及してきた政治学者・人類学者に

    ゾミア | 脱国家の世界史 | みすず書房
  • マルク・ブロック | みすず書房

    1886年エコール・ノルマルの古代史数授ギュスターヴ・ブロックを父として、リヨンに生れる。エコール・ノルマルを終えて、モンペリエ、アミアンのリセの教授となる。第一次大戦に従軍。1919-36年ストラスプール大学の中世史教授を勤め、ついで1937年ソルポンヌ大学の経済史の教授に迎えられる。この間、史学上の業績として、『奇蹟を行う王』(1924)、『フランス農村史の基性格』(1931、邦訳、創文社、1959)、そしてこの『封建社会』(1939)が刊行され、人々はここに偉大なヨーロッパ的な歴史家の出現を知る。別に1929年に、リュシアン・フェーヴルとともに『社会経済史年報』を創刊する。1939年第二次大戦に従軍、1940年フランス降服の後、レジスタンス運動に参加し、1944年6月16日リヨン近郊にて、ナチの兇弾に倒れた。遺書としては、『奇妙な敗北』(1949、邦訳、東京大学出版会、1955)、