【日曜経済講座】 「日本政府にいまだに非常事態の認識がないのは、どういうわけか」と旧知の米国要人から言われた。いきさつを聞いたら以下のようなお粗末さだ。 3月11日午後3時40分、東日本大震災発生約1時間後、ルース駐日大使は首相官邸に電話し、全面支援意思を伝えた。官邸からは音沙汰なし。24時間後、米政府は米軍の出動を正式に申し入れたが、官邸も東京電力も自分たちの手で収拾できるという感触だった。(編集委員・田村秀男)関連記事日本復興 震災に強い国づくりを 大胆…【国際政治経済学入門】復興に大規模、…記事本文の続き ◆認識の欠如と迷走 在日米軍は福島原発専用の非常時対応ハンドブックを作成済みだ。本来はテロ攻撃時用で、放射能汚染に耐えられる戦車配備の仕方や、福島原発海域に入る軍船の喫水線など、具体的で細かい基準を盛り込んでいるという。原発が今回のように地震と津波で大きく損傷を受けた場合も、初期対
クリックして拡大する航空写真撮影会社エアフォトサービス(新潟県)が小型無人飛行機を使って撮影した、福島第1原発の3号機(左)と4号機の様子。こうした鮮明な画像を詳密に分析して、欧米では踏み込んだ情報が開示されている=3月24日、福島県大熊町(ロイター) 危機の程度 いまだに危機的状況から抜け出せないでいる東日本大震災に伴う東京電力福島第1原子力発電所事故。国民は政府や東電の発表、説明を注視しているが、今一つ実態や危機の程度が分からず、もどかしい思いをしている。一方、今回の事故には欧米を中心に海外の専門家、メディアも注目しており、その分析は日本より踏み込んだものが多い。鮮明な事故現場の写真が世界中に配信され、その画像を元に、原発先進国の研究機関が独自に開発したシステムを活用して事故の状況をコンピューターでシミュレート(模擬実験)し、積極的に情報開示しているためだ。 ノーベル物理学賞を受賞した
家族8人、私だけ生き残った。 がれきの自宅、思い出探し 自宅のがれきの中から家族旅行の写真を見つけた美咲さん。「両親が忙しい中、連れて行ってくれた」=2日、気仙沼市波路上杉ノ下 東日本大震災で宮城県気仙沼市波路上杉ノ下の本吉響高3年三浦美咲さん(17)は両親と2人の妹ら7人の家族を失った。一家で残ったのは自分だけ。海岸に近い自宅は津波に流された。市内の親戚宅で生活しながら、思い出の物を探しにがれきと化した家に通う。悲しみの底から3週間余り。「前を向こう」と自分に言い聞かせている。 両親は芳弘さん(43)と美江子さん(41)で、妹は階上中3年美穂さん(15)と幼稚園に通っていた美輝ちゃん(6)。祖父(74)と祖母(72)、曽祖母(93)も一緒に暮らしていた。 3月11日の地震の時、美咲さんは市内のショッピングセンターにいて津波の被害を受けなかった。父ら5人は在宅していた可能性が高い。美輝
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