日刊SPA!に登場の医学生投資家、儲け自慢に熱を入れるあまり「11歳から親の口座で投資を始めた」と借名取引をうっかり告白
![出前館、実は人力に頼りまくるローテク企業と配達員さんらにバレる : 市況かぶ全力2階建](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/1abc897a77c9bd449338cf9f6cf63230ad280b02/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Flivedoor.blogimg.jp%2Fmasorira-kabu%2Fimgs%2Fd%2F7%2Fd7a1ee9d.jpg)
(新聞社のサイトで新聞についてポジティブにコメントする抵抗感を感じながらですが...) 記事の中にもあるよう、紙の新聞のメリット「自分に興味のない情報にも触れられる」はわれわれの想像以上に大きくなっているように感じます。スマートフォンのアプリで入手する情報は一人一人のユーザーに最適化され、その人の興味のある話題にどんどんと絞られていきます。その仕組みを「フィルターバブル」と呼びます。 最新のITツールを利活用し、コスパ・タイパを切り詰め、無駄のない、効率の良いインプットが推奨される社会の空気を感じます。しかし、こうして自分に気持ちの良い情報にだけ触れ続けていくことで、視野が狭く、わずかな違いを許容することができない不寛容なメンタリティーになってしまうのではないでしょうか。 短期的には、テクノロジーで便利になっているように感じても、中長期的には人生が豊かにはならないのでは?と疑問に感じます(
もう何年前になるだろうか…知り合いの樋口景一さんという電通のクリエイターの方と世田谷公園で春夏秋冬と4度対談したことがある。(その後、対談は本になって出版された。『公園対談』(廣済堂出版 2016)) 1回目は確か、オリンピックの東京招致が決まった頃で街中に横断幕が掲げられていた。「今、ニッポンにはこの夢の力が必要だ」というキャッチコピーというかスローガンへの違和感について、「本来は、スポーツがニッポンに何をしてくれるのかではなく、スポーツの発展のために何が出来るのかを考えるべきなんじゃないか?」と僕が話すと、彼は「その通り。だからこそ今度のオリンピックが日本にスポーツを文化として定着させるラストチャンスだと考えているんです」と話された。頑張って欲しいなぁと思う半面、無理なんじゃないかなと思う気持ちのほうが強かった。今彼がどのようなポジションでこのオリンピックに関わられているのかは分からな
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