世界がもし100人の村ならば…高校生らがく然、貧富の格差ランチでお重3段分 富の偏在学ぶワークショップ 鹿児島市
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日本の新聞社が一大危機を迎えている。広告激減に部数落ち込み。そして、なにより読者からの信頼が揺らいでいる。新聞は崩壊してしまうのか。連続インタビューで「新聞が抱える問題点」を様々な角度から浮き彫りにする。第1回は、「談合体質」が問題視され、世界でも珍しい「記者クラブ」について取り上げる。「ジャーナリズム崩壊」などの著書があり、ニューヨークタイムズ東京支局取材記者などを経て、現在フリーのジャーナリストである上杉隆さんに話を聞いた。 首相会見に記者クラブがNOを出す 日本では珍しくない「記者会見で権力側に事前に質問を渡す記者」は「世界では例がありません」と話す上杉隆さん。「そうしたことが読者に少しずつばれて来ている」 ――記者クラブによる「厚い壁」を感じたときは、どんなときですか。 上杉 取材対象へのアクセス権を記者クラブという特殊な組織が独占していることが、そもそも問題なのです。 私は国
挑発的だからと「赤ペンで×」を禁止する小学校が増加 2008年12月30日07時13分 / 提供:新華通信社 新華社ロンドン(イギリス):イギリスの小学校では最近、生徒の宿題を採点する際に×印などを緑や青、桃色、黄色、または鉛筆などでつけるケースが増えているという。 同国では数百校の学校で、教師が赤ペンで宿題の採点をするのが禁止されているという。その理由は、赤ペンで×印などをつけるのは「挑発的」で、生徒に「威嚇」されるような感覚を與えるからとのこと。赤ペンの使用を禁止することで生徒に不安を感じさせないようにすることができ、そのことは彼らの心の健康につながるという。 イギリスのデイリーメールは25日、ケント州オーピントンにある小学校の校長の話として次のように報じた。「赤ペンで書かれた×印などは子供に積極性を失わせる。それは子供達に、『お前を監視してるぞ』『お前はだめだ』といった印象を與える」
納豆、どれぐらいかき混ぜますか? 私はほとんど練らずにサラサラで食べる方が好きなのだが、祖母など習慣的に毎回200回と決めて混ぜている。聞くとところによると一般的にも年輩の方ほどよく混ぜる傾向があるそうだ。どうやら科学的にはよく混ぜた方が美味しいことが分かっているらしい。 よく混ぜるってどの程度混ぜるといいんだろう。せっかくだし、やるならトコトンやってみよう。そんなわけで、1万回混ぜました。手加減ナシです。 納豆のネクストステージを見てきました。海の幸の味がしました。 (text by 古賀 及子) 魯山人納豆というやつがあるだろう 納豆をよく混ぜる文化としては、芸術家であり食通アイコンでもある、北大路魯山人の納豆作法「魯山人納豆」がやはり有名だ。 深い器で納豆を400回以上混ぜるというやり方。1万回チャレンジの前に、まずは、ネットで検索したこの魯山人納豆の作り方をまねて、本当によく混ぜた
年末になって、本屋にはぞろぞろ「大恐慌本」が出てきた。現在の不況を「大恐慌」などと名づける本は、それだけで読まないほうがいい。それは著者が1930年代と現在の違いを理解していないことを示すからだ。しかし官僚やメディアにはそのレベルの理解も共有されていないようなので、今年の記事をまとめて金融危機についての入門的な知識をまとめておこう。ちょっと長いので、いつも読んでいる読者は飛ばしてください。金融危機の原因は大恐慌とは違う:今回のアメリカの金融危機の最大の原因は、住宅バブルの崩壊にともなって、複雑でリスクの見えにくい金融商品の逆淘汰が起こったことによる金融システムの崩壊だ。これは30年代の大恐慌とも日本の90年代とも異なる21世紀型の危機であり、既知の処方箋はない。マクロ政策は、一時的な「痛み止め」の意味はあるが、今回の危機はそれだけで自然治癒するほど軽傷ではない。 大恐慌は再来しない:シュ
こんにちは。三十代のゆうです。素朴な疑問なのです。タイトル通りなのですが、この前職場の女性五人(上は三十七歳、下は二十二歳)で納豆の食べ方の討論をしたところ、五人中三人は白米と納豆は別に食べるそうです。私の学生時代の給食も別々に食べる女の子は多かったような気がします。私と夫は白米に納豆をかけて食べるのは当たり前と思っていました。 そこでみなさんの意見を少し聞きたい気がしたのです。 みなさんは納豆をご飯にかけて食べる派?または別々派?みなさんの周りの食べ方の比率も聞きたいです。あと別々派の皆さんは別に食べる理由を教えて貰えるとうれしいです。(私は白米が汚れるのが嫌と予想しています。) 案外別々で食べるのって実は普通なのかな? くだらない質問ですが、どうかよろしくお願いします。
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【北京=矢板明夫】日本のNPO法人が編集した日本語教材が中国で今秋出版されたが、原本に史実として収録されていた「旧日本軍医が多くの中国人を助けた」との内容に対し、中国側が「問題がある」として削除していたことが29日までにわかった。中国では愛国主義教育の一環として、日本軍の残虐さを誇張して描写した書籍が大量に出版されており、こうした日本軍のイメージと矛盾しているため中国側が難色を示したとみられている。 この日本語教材は、北京の大手出版社「外語教学と研究出版社」が9月に出版した「日語読庫」で、日本のNPO法人、日本語多読研究会(本部、東京)が外国人向けに編集した「日本語多読ライブラリー」(アスク出版)を原本にしている。 日中の両出版社は当初、同じ内容の掲載を前提に話を進めていた。ところが、中国側が突然、変更を求めてきたという。 この教材にはもともと、「雪女」「走れメロス」など日本のおとぎ話や短
ニセ科学批判者たちが使用するレトリックの自己矛盾を指摘しておきたい。 ニセ科学批判者たちは、科学的知識は事実そのものである絶対的真理には到達不可能であるが、科学によってそれに近づくことができると主張する。つまり、個々の科学的知識は事実と思われる認識内容であって、永遠に事実そのものには到達できないが、実験と観測を重ねることで事実そのものに限りなく近づいていくことが科学の営みであるというわけである。この論理からすると、かえって科学は、絶対的真理を前提としていることがわかる。もう少し詳しく言うと、科学は、事実そのもの=絶対的真理=対象と認識内容が完全に一致した命題の存在に近づくことを目標とすることで成り立っている。しかし、何を根拠に事実そのものにより近づいていることを判断できるのだろうかという疑問がすぐに湧いてくる。ここで科学そのものがパラドックスに陥ることは、システム論者なら誰でもわかる。それ
私の旦那は女装子です。 そのことは結婚前から知っていました。いや、正確に言うと、知らなかったけど違和感がありませんでした。もともと顔立ちがたいへん可愛らしく、背もそれほど高くない華奢な骨格。私服はスカートこそはかないもののとてもユニセックスで、実際女性に間違われることも日常茶飯事でした。 私はそんな彼とまるで姉妹のように仲良くなり、やがて付き合うようになりました。その時の私にとって、彼と一緒にいることがとても自然なことだと感じたからです。それが恋愛感情だったのかどうか、今となってはわかりません。 風変わりな彼を、でも、私はちょっと自慢に思っていたのです。決して男らしい人ではない。でも、男だからって彼を好きになったんじゃない。私はそういう垣根を越えて彼を愛している。…そんな風に、思っていたのかもしれません。 そうして年齢的なものもあり、私と彼は結婚しました。彼は変わらず可愛らしく、姉のように
「いい意見。でも、せっかくまともな意見なのに、なんで増田で書くの?はてダでやればいいのに」 こんなような意見を、たまにもらうことがある。 その事自体は、正直ちょっとウレシくて照れてしまうのだが(相手はそこまでの気持ちで言っていないだろうがw)、 しかし、同時に「なんで増田で書くの?」というのが、よく分からないのだ。 はてなでは、発言に「格」みたいなものがあって、それが「増田<<<<<ダイアリー」みたいな感じだってことなんだろうか?ボクはそもそもそういう前提をあまり考えたことがなかったからこういう発言を聞くたび照れると同時に不思議にも感じる。 逆に、dis系の意見に対しても、「増田で言われても説得力がない」と言っているのを見たりする。 あれもよく分からない。どこで言おうが、発言の内容が同じなら、説得力は同じだと思うのだが。というか、違ったら、マズくないか?(まあ人間の心理として、どうしてもち
雑記痛いニュース(ノ∀`):性犯罪者にGPS装着を検討 「人権やプライバシー侵害」としての反対の声も真面目に言及するのもなんだかなあとは思うのですが、どうしても書いておきたいことがあるので書きます。上記のリンク先では犯罪者の人権についての話し合いが記録してある。そしてその大部分は犯罪者の人権などない*1と主張している。さて、刑務所とはいかなる場所であろうか。刑務所とは、犯罪者と呼ばれる人間の権利を一時的、または永久に剥奪する場所であると定義できるだろう。無論、犯罪者であるか否かについては公正かつ非常に文明的な方法が取られるわけだ。裁判ではきちんと弁護士がつき、取調べでは黙秘権を行使することができる。間違っても拷問なんてことは行われない。刑罰にしても人道的*2と云えるだろう。現在の日本では、ある程度犯罪者の人権が守られていることになる。仮に犯罪者に人権がないとなると大変なことになる。日本の場
先日、浜松に行ってきた。で、浜松のブラジル人労働者がどうなっているか知りたかったのだが、予想以上にやばいようだ。まず、浜松の中心地にブラジル人の姿が見えない。普段は特に意識しなくてもポルトガル語の会話が聞こえてきたものだが、ほとんど姿を見掛けない。 駅の近く、ガード脇にあるブラジル人向け食料品店の「セルヴィツー」にも行ってみた。 セルヴィツー (SERVITU) http://r.tabelog.com/shizuoka/A2202/A220201/22000167/dtlrvwlst/496785/ ここはテレビでも取り上げられた様々な食料品や雑貨、そしてカフェテリア式の食堂が併設されていて、ブラジル人で賑わっていた。ところが、行ってみると人影がない。店の前のシュラスコ売りも、さまざまなチラシも、何もない。明かりも落ちている。かろうじて店はやっているようだったが、人気はない。 マスコミで
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