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本日は、26年前に発売されたアイドル(芸能人)育成・プロデュースゲーム「プロダクションマネージャー」(開発&発売・コムパック)に触れてみたいと思います。 26年前というと、1988年。その当時のPCゲームは現在のようなWin・Macの2台巨頭ではなく、NECのPC-9801とPC-8801(この2機種に互換性はありません)、シャープのX1TurboとX68000(※同じく互換性はありません)、富士通のFM-77AV、松下(現・パナソニック)やソニーを始めとしたメーカーによるMSX2を始めとした様々な規格のPCで多くのゲームが発売されていました。 我が家の場合は父と兄がPC-98とX68000のパワーユーザーで、自分は二人が購入したゲームで遊んだりしていました。そして25年前・1989年の夏休み、兄も父も出掛けていた際にPC-98の電源をオンにしたら、フロッピーディスクドライブに入れっぱなし
以前、AKB48の振付とダンス指導を手がけられた夏まゆみさんが、新人のオーディションに際して、「選ぶなら、むしろダンスを習っていない子の方が望ましい。下手にダンスの経験があると、変なクセがついていて、それを取り除くのに苦労するから」と言っていた。 後に、ぼくはそれを自ら体験することになる。 お笑い養成所で講師をしたとき、下手にお笑いをしていた子は、それまでについて変なクセが邪魔をして、教えたことをなかなか吸収してくれない。しかし、お笑いを全くしていなかった子は、色んなものを抵抗なく吸収するので、成長が早いのである。そのため、下手にお笑いを経験していた子よりも、すぐ実力で追い越してしまうのだ。 以来、何かを教えるときは、その人が経験者かどうかを重視するようになった。もちろん「経験していない方に見込みがある」と考えるようになったのである。 ぼくは、クリエイター志望でなまじっかな経験がある子は、
この連載では、ドラゴンクエスト開発者の中村光一さんや、ポケットモンスター開発者の増田順一さんに、かつて彼らがどんな風にゲームを作ってきたかを「自作ゲーム」という観点からうかがってきた。 今回は、いわばその「番外編」である。初めてパソコンに感動した世代の学生が、現在の自作ゲームと変わらぬ開発人数だったファミコンの時代を経て、ゲームが世界規模の巨大ジャンルに発展していくまでを目にする――そんな当時の共通体験を、開発者に最も近いところにいた"最強のウォッチャー"の視点から語ってもらったのが、このインタビューである。 また今回は、ファミ通編集部のご厚意で当時の誌面を見せていただきながら、往年の名物企画たちの裏側も聞かせていただいた。しばしば言われるように、日本の雑誌カルチャーは、単に情報を伝える媒体ではなく、目利きとしての編集者の企画力と職人技で、カルチャーそのものを育ててきた存在でもあった。それ
親が死んだら負担は兄弟に?深刻化する“高齢ニート”問題 社会問題として度々取り上げられる「高齢ニート」。28日放送のフジテレビ『ノンストップ!』では、親が亡くなった後、兄弟姉妹にすがる”新・高齢ニート”について調査した。 40歳以上の非労働者44万人!という日本の現実「高齢ニート」とは、親の年金や財産を頼りに働けるのに働かない40代以上の中高年ニートのこと。さらに、「新・高齢ニート」は、親に頼れなくなったら兄弟姉妹にすがるという超厄介な存在なのだという。 2013年、40歳以上の非労働者(家事・通学は除く)は、なんと44万人もいるそうで、2008年の33万人から一気に増加(労働省調べ)、働かない子を持つ親を対象としたセミナーには、年間700人もの親が殺到しているという。 配偶者の兄弟姉妹にニートが…番組視聴者からも「旦那の妹がニート。旦那が死んだら私の息子や娘に面倒見てもらいたがっている(
古くは80年代のマイコン雑誌に掲載されたコードに始まり、パソコン通信や草の根ネットでの公開、コンシューマー機でも手軽にRPGを作れる『RPGツクール』の登場、そしてそれらを拡散できるインターネットの普及……マイコン以降の日本のコンピュータ文化は、個人による自作ゲームが世界に向けて拡散される環境を整えてきた歴史でもある。 その意味でここ、ニコニコ動画もまた自作ゲームに大きな影響を与えてきた。ゲーム実況者たちが自作ゲームを積極的に紹介してきたことで、アマチュアの作ったゲームを楽しむユーザーが、マニアから一般ユーザーへと解き放たれたのだ。 例えば先日、映画『青鬼』の制作者に取材した際に、彼らは小学生が親子連れでこぞって映画館を訪れていたことに衝撃を受けていた。だが、こうして『青鬼』が映画化されるような状況は――ニコニコ好きならよく知っているように――明らかに2009年のボルゾイ企画のゲーム実況か
村上春樹『女のいない男たち』から読み解く、現代日本文学が抱える困難(森田真功×宇野常寛)☆ ほぼ日刊惑星開発委員会 vol.141 ☆
GPUってあるだろ? グラフィックス・プロセッシング・ユニット。 コンピュータの中で最も高速な部品はなんといってもGPUだ。 たとえばnViditaの最新SoCであるTegra K1。 CPU部は単精度で73.6ギガFLOPS(フロップス)、だがGPU部は364.8ギガFLOPSだ。 これが30万円する最新のGPUボード、GeForce GTX TITAN Zになると、なんとびっくり、8テラFLOPSだ。 これはIntelの最高級IA-64チップ、Xeon ES-2687Wの198.4ギガFLOPSを大きく上回る。 Core i7は92ギガFLOPSに過ぎない。 ちなみにかつて数億円したスーパーコンピュータ、Cray-2はわずか1.9ギガFLOPSに過ぎず、今のコンピュータがどれだけ速いか窺い知れる。JAMSTECの地球シミュレータは131テラFLOPSだが、追いつかれるのは時間の問題だろ
子供の頃ゲームで遊ばなかったせいでオッサンになってもこの<先もずっと寂しい思いをする 人と人との繋がりに関して何か言えるほどに交友関係が広いわけでも深いわけでも無いけれども。 7年前に興味を持ち始め6年前に買ったゲームの新作がついこの前発売されて、発売日に入手して以来、寝食忘れてハマっている。 ・参照:【アイマスOFAファーストインプレッション】アイマス新作がソツ無く面白すぎる件 このシリーズのためだけに散財もずいぶんした。ゲーム以外にもCDやライブ参加関連費用などを合わせると、多分安い車が数台買えるくらいにはなっている。最新作のためだけでも既に万を超える額が飛んでいった。時間も、その分をリアル交友関係の為に使えば今頃子供が居ただろうってくらいには、だいぶつぎ込んだ。一般的にはそれ程メジャーなゲームではないから、人間関係も、トータルで見れば狭まったと言えるかもしれない。 それでも、楽しい、
やぁみんな。ショーン・ぱみゅぱみゅだよ。今日は自分が数年前からこうしていたら、今の事業を成長させる際にもう少しスムーズにいっただろうな。と思っていることを紹介するよ。IT業界は移り変わりのスピードが凄まじく早くて、2年前まで盛り上がっていたサービスが今日では廃れているなんてことが当たり前のようにある。それはユーザーが最初はクールだと感じていたけど、徐々にダサいと感じてしまったから、ということもあれば、デバイスの変化に対応しきれずにユーザーが離れていく場合もある。しかしながらその一方で、クックパッドやEvernoteのように登場から数年経っても安定して成長し、売上を伸ばしているサービスも存在している。こういった成功するサービスと廃れていくサービスは一発屋芸人と安定して出演が増える芸人との違いみたいなもので、登場当初のキャラ設定(ITではサービス設計)によって寿命がほぼ決まっているものだ。具体
今回の記事はとても長いです。 日清戦争の裏に市井の人々の活躍があった まずは歴史のお話です。 近代化されたメディアを利用したプロパガンダ活動が、日清戦争では盛んに行われました。日清戦争を、世界初の近代情報戦争とも定義することができるでしょう。 事実、清国によるプロパガンダに日本は悩まされます。それでは日本国はというと、戦時におけるメディア戦略が曖昧だったり、近代国家として諸外国に認めてもらうためルールに従って戦争したりしていましたから、なかなか微妙な状態でした。 そんな中、なす術のない日本政府に成り代わり、立ち上がった市井の人々がいたッ!!!! 高度すぎてもはや我々には理解不能ですが、これは清国の悪口ソングです。当時の日本では、このような清国の悪口ソングが大量に生産されていた。 なぜにこんなもんが大量生産されていたのかというと、あるオッさんがイチかバチかで、ちやんちやん征伐音曲集とかいう本
ドッジボールの歴史は曖昧です ドッジボールの歴史というのはよくわかってないらしく、海外のページを見るとケニアの部族の風習をみた宣教師が考案しただとか、一九〇〇~四〇年にかけて、現在のルールが確立されただとか、いろいろなことが書かれています。 要するにその起源は、かなり曖昧な感じです。 日本ですとこのページには明治の四二(一九〇九)年、可児徳氏と坪井玄道氏によって海外の競技「円形デッドボール」が紹介されたとある。ところがこれはちょっと微妙でして、実は明治二八(一八九五)年の日本に、現在のドッジボールに近い競技を考案してる人がいます。 明治二八年のドッジボール 考案したのは嚶々亭主人という人、普段は小説なんかを書いてたみたいです。 この人が考案したスポーツのルールは、下記の通りです。 二チームが二列に並び向かい合うボールを相手チームに向かって投げつける相手チームはボールを受け取り投げ返すボール
ついこないだうちのサークルが夏コミに出した新刊『敷居の部屋の最前線』の座談会で出てきた話題で「似たようだけどちょっと違うもの」ってのがあったんですよね。 「小説家になろう」について、似たようなテーマ・アイデアを元に色んな人が「そうだそうだ。でもこことここがちょっと違うんだよな、俺はこうだ」ってのをいろいろ試行錯誤していて、それって創作の基本だよねという。で、基本的に長編で作者の「俺はこう思う」と読者の「僕らこういうのだと思う」が一致し続けることはなく、いつかは絶対に作者の個性によってずれていく。ずれた結果が面白ければ何の問題もなく、また奇跡的に長期間ずれないまま保持されるととんでもない人気が出たりする……とかまあ、そんな話なんですが。
ぼくは20代の後半(90年代の後半)に年収が1000万円に到達した。放送作家でそれなりに仕事があって、その頃はテレビ業界も羽振りが良かったので、けっこうあっという間にこの金額に到達したのだ。 しかしその後、すぐに放送作家として通用しなくなり、年収はガタ落ちした。一番下がった32歳の時には100万円未満だった。わずか数年で十分の一にまで下落したのだ。 この時、「お金がない」とはどういうことかというのを骨身に染みて実感したし、またお金がないなりの過ごし方も身につけた。 その後、いろいろあって42歳の時に「もしドラ」がヒットし年収が大きく増えた。2010年のことだ。 これは、それまで最高だった年の数十倍だし、最低の年と比べると数百倍だ。まぁ、ジェットコースター人生を味わっているわけだ。 そこで今回は、そういうふうに金持ちと貧乏とを短時間で行き来した結果、見えてきた「これからの社会」あるいは「これ
自分、格闘ゲームの配信をよく見るんです。 格闘ゲームをプレイした経験が(子供の時以来)ほとんどないにもかかわらず。 格ゲーやらないのに、格ゲーの動画とか配信を日夜視聴してる。 こういう人のことを、格ゲー界隈では"動画勢"って呼んだりするんですね。 で、以下にですね、またちょっと長くなると思うんですけど、 ”一動画勢”として最近思ったことをつらつらと書いていきたいと思います。 もちろん内容は格ゲーに関するものなんですが、「格ゲーに対してあまり興味がない」という人にも、ぜひ読んで貰いたいと思っております。 本場格ゲー勢の方々には……。 まぁ、その、生暖かい目で見ていただければコレ幸い、と思います('A`) ニコニコにせんとす氏(以下敬称略)という実況者がいます。 ストリートファイターⅣとか、主に格闘ゲームの動画を上げたりしてるんですけど。 そのせんとすが、「せんとすカーニバル」っていう格ゲーの
こんにちは。 エロゲメーカー【チュアブルソフト】代表のイシダです。 エロゲ屋さんのお仕事とかに興味を持って頂けたら嬉しいな。 そしてそこからうちのゲームが売れたら嬉しいな(ゲス顔)。 という方針で始めましたこちらの日誌、嬉しいことにコメントやTwitterで ご質問やご要望を頂けるようになってきました。 折角なので今日はTwitterでお寄せ頂いた以下のご質問について簡単にご対応して みようと思います。 シンプルに「エロゲ(ギャルゲ)開発にはどういう人たちが関わってるか(原画・シナリオライター・背景・音楽etc)」とかどうでしょう。営業とかは別にして、まず一本のエロゲができるまでのあらすじを説明するとか。 実はコチラについてはですね、チュアブルソフト開発室がある茨城県水戸市での イベント向けに資料を作ってあるのです。 初出が2010年の茨城県水戸生涯学習センターでの展示なので、当時開発して
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