広場堰から分岐した田用水を追っての二回目です。田端堰で分岐し田端田圃を灌漑してきた左岸流と合流、矢倉(屋倉)台と呼ばれる舌状台地を迂回し、その東側に回り込みます。途中、→ 「田端村絵図」や→ 「東京近傍図」にあるように、舌状台地の先端で神通橋の架かる古道を越えると、流域は田端村から成宗村へと移っていました。現在は善福寺川緑地となっているところです。 ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)