ハリウッド映画や海外ドラマなどで、合気道を目にする機会は増えた。その普及の背景には、ひとりのカリスマ的な日本人師範・山田嘉光氏の存在があったという。山田氏の訃報に合わせ、米紙が追悼記事を掲載し、その功績をたたえている。 米国進出当初は「弟子ゼロで無収入」 合気道を、ざっくりと英訳すると「調和の精神に至る道」だろうか。合気道は、第二次世界大戦が始まったばかりの頃に、空手のような攻撃的な武道の代替として生まれた。 合気道は護身術だ。投げ技や関節技を使い、相手の攻撃力を奪う一方、ダメージは最小限に抑える。合気道にも段位はあるが、競争を目的とはしていない。 その黎明期において、合気道は日本ですらあまり知られていなかった。状況が変ったのは1960年代だ。創始者の植芝盛平が、山田を含む若い弟子数人を世界中に派遣したのだ。各地に道場を開き、次世代の師範を育成するためだった。山田は、1964年に開催された