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歴史と音楽に関するfutenrojinのブックマーク (3)

  • オノ・ヨーコとダコタ・ハウス─ニューヨークにかけられた50年間の魔法 | アートシーンを築いたアイコンへの別れを惜しんで

    2023年に90歳を迎えたオノ・ヨーコが、50年間にわたるダコタ・ハウスでの生活に終止符を打ったと報じられた。このポップ・カルチャーのアイコンが不在となったいま、米「ニューヨーク・タイムズ」紙の記者が彼女への想いを綴った。 ニューヨーク市の不動産界では、多くのものがはかなく移り変わる。ビルは取り壊され、カフェはドラッグストアに変貌し、家賃は上昇する。だが過去50年間変わらないものがあった──オノ・ヨーコが、この街の「ダコタ・ハウス」に住んでいたことだ。1980年12月のあの悲劇的な日、ジョン・レノンがその建物のすぐ外で射殺されたあとも、彼女はなおそこに留まった。 長年のあいだ、観光客もニューヨーカーも、このアーティスト兼歌手にしてニューヨークのアイコンである彼女にひと目お目にかかれたらと願いつつ、アップタウンを歩いてきた。オノの存在が、ダコタ・ハウスの神秘的な雰囲気を支えていたのだ。 レノ

    オノ・ヨーコとダコタ・ハウス─ニューヨークにかけられた50年間の魔法 | アートシーンを築いたアイコンへの別れを惜しんで
  • ジョン・レノンの元愛人が明かす「二人の仲をオノ・ヨーコはむしろ歓迎していた」 | アシスタントから愛人になった本当の理由とは

    ジョン・レノン、オノ・ヨーコ、アシスタントから彼の愛人になったメイ・パン。3人の関係を取り上げた新作ドキュメンタリー映画が公開された。パンは誤解を解くべく、真実を明かしている。 失われた週末とは何を意味するのか ジョン・レノンにとっての1970年代半ばは、人の言葉を借りれば「失われた週末」だった。アルコール中毒の作家を描いた1945年の名作映画『失われた週末』にちなんでそう呼んだようだ。「週末」とはいえ、実際は18ヵ月間に及ぶ。 オノ・ヨーコと別居していた時期でもあり、放埓(ほうらつ)な日々を深く悔いていた。しかし、その時期にレノンと同棲していた愛人メイ・パン(当時22歳)によれば、事実は異なるという。 「ジョンは友だちとよく会っていて、とても楽しそうでした」とパンは振り返る。「それに、私はジョンの10歳下でしたから、若いカップルらしい日々を送っていました」

    ジョン・レノンの元愛人が明かす「二人の仲をオノ・ヨーコはむしろ歓迎していた」 | アシスタントから愛人になった本当の理由とは
  • 坂本龍一さんと沖縄音楽|“ことば”を旅する連載・第47回 | 宮沢和史の「ことば永遠(とわ)」

    龍一の訃報は、世界中の音楽家やファンにとって衝撃的なニュースとなった。現在もその死を惜しみ、悼む声が絶えない。 高橋幸宏さんがこの世を去ってから、わずか2ヵ月と少し後に坂龍一さんまでいなくなってしまった……。 おふたりが数年前から闘病生活で苦しんでおられたことは知っていたが、いずれまた世界中を驚かせる美しい音楽を聴かせてくれると、疑わなかった自分がいた。 今年1月にNHKで放送された、坂さんの特別番組『Playing the Piano in NHK & Behind the Scenes』をご覧になっただろうか? ピアノソロのスタイルで一曲一曲収録され、編集された無観客のスタジオライブ的な内容ではあったが、それはそれは素晴らしいピアノ演奏だった。 ただ、曲と曲の間での坂さんのトークがとても弱々しくて、あまりの衰弱ぶりに胸が締めつけられそうになってしまった……。その時に、坂さん

    坂本龍一さんと沖縄音楽|“ことば”を旅する連載・第47回 | 宮沢和史の「ことば永遠(とわ)」
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