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領土問題と国際に関するfutenrojinのブックマーク (3)

  • 露紙が取材「国後島から北海道へ泳いで渡ったロシア人男性は今、どう過ごしているのか」 | 国境警備隊の監視を掻い潜り

    2021年8月、北方領土の国後島から海を泳いで北海道へ渡ったロシア人がいる。男性の名前はワースフェニックス・ノカルド。北海道標津町で警察に保護され、入管施設に収容された後に難民認定を申請し、同10月に仮放免されている。渡航の理由は「強権体制のロシアから離れたかったから、プーチン政権に嫌気が差したから」であると語った。 同氏は露紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」サハリン版の取材に答えている。彼はいま、どのように暮らしているのだろうか。 見張り小屋の下を通り… 先に少し説明しておこう。ワースフェニックス・ノカルドというのは名だが、出生時の名前ではない。以前の彼は、ウラルのイジェフスク市出身のウラジーミル・メゼンツエフといった。しかしその後、パスポートの氏名を変えることにしたのである。 彼は2017年に「極東ヘクタール」(極東への移住を促すロシア政府の政策。移住者には1ヘクタールの土地が無償で与

    露紙が取材「国後島から北海道へ泳いで渡ったロシア人男性は今、どう過ごしているのか」 | 国境警備隊の監視を掻い潜り
    futenrojin
    futenrojin 2022/06/08
    「スタニスラフ・クリロフというソ連の海洋学者は出国ビザを出してもらえなかったためにクルーズ船から海に飛び込んだ。彼は三日間を水中で過ごし、約100キロを泳いで、フィリピンまでたどりついた」
  • 「ウクライナ戦争で打ち砕かれた北方領土出身者たちの望み」を米紙が紹介 | 「ウクライナの状況はまさに日本の北方四島みたいなもの」

    ウクライナに侵攻したロシアに日が制裁を科せば「北方領土問題」が後退するという展開は、大半の日人にとって驚きではないだろう。だが、北方四島の元住民らにとってそれは何を意味するのか? 米紙「ワシントン・ポスト」東京支局長のミシェル・イェ・ヒ・リーらが北海道の根室市で取材した。 1945年9月4日、ソ連兵たちが河田弘登志(かわた・ひろとし)の家に入り込み、日兵をかくまっていないか、貴重品を隠していないか探しにきた。当時11歳だった河田は、彼らのしゃべっている言葉で2つの単語だけ聞き取れたのを覚えている。時計と酒だ。それらを彼らは略奪していった。 日の北にある資源豊かな列島を、ソビエト連邦が乗っ取りはじめたのだ。日が第二次世界大戦で降伏して、悲惨な戦争もこれで終わったと思っていた島民たちにしてみれば恐ろしいことだった。ほどなく日人たちは自由に働いたり引っ越したりすることを禁じられ、女性

    「ウクライナ戦争で打ち砕かれた北方領土出身者たちの望み」を米紙が紹介 | 「ウクライナの状況はまさに日本の北方四島みたいなもの」
    futenrojin
    futenrojin 2022/04/09
    小泉悠さんが『「帝国」ロシアの地政学』で日本人は北方領土では死ねないと書いていたのが印象的だった。
  • 【主張】北方領土返還 「四島侵略」今こそ発信を

    世界が今、ウクライナで連日目撃しているロシア軍による暴虐は、ソ連の独裁者スターリンが77年前、日を蹂躙(じゅうりん)した国際犯罪の再現だ。 歴史的に一度も他国の領土になったことのない北方四島の侵略、不法占拠である。 国際的指弾を浴びるプーチン大統領は、北方領土問題では「日露間に領土問題はない」と、ソ連時代に逆戻りし、過去の一切の日露合意を反故(ほご)にして「領土抜き平和条約締結」を主張、日を愚弄し続けてきた。 自由主義陣営がウクライナ侵略への非難と制裁で固く結束している今こそ、北方領土侵略の不当性を世界に広く訴える絶好機だ。岸田文雄政権は、冷戦後の国際秩序の破壊者となったプーチン政権との交渉打ち切りを通告し、四島返還戦略の原点からの練り直しと国際発信の強化に着手すべきだ。 ソ連軍は昭和20年8月9日、日ソ中立条約を一方的に破って侵攻を開始し、日がポツダム宣言を受諾した後の8月28日か

    【主張】北方領土返還 「四島侵略」今こそ発信を
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