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ブックマーク / tatsumi-kyotaro.hatenablog.com (8)

  • 弱者男性論とは何か? ~あてがえ論との関係~ - 京太郎のブログ

    0.弱者男性論とあてがえ論 1.弱者男性論の要素 その① 男性の収入 その② 社会に蔓延した価値観の批判? ③男性の孤独、男性はケアされていない? 2.現代はどういう時代か? 3. 弱者男性の弱者とは何か? 4.根的な解決について 【参考文献】 5.余談 0.弱者男性論とあてがえ論 この記事では弱者男性論の主張の背景について考えることを目的とする。 弱者男性論の主張を簡単にまとめると「男性の中にも弱者がおり、彼らは収入、容姿や学歴という“スペック”という面で弱者であり、ケアされるべきだ」というもので、弱者男性論を支持する層の中には所謂「女性をあてがえ論」と呼ばれる主張をする者もいる。 「女性をあてがえ論」は、“スペック”という面で劣っている弱者男性は恋愛でパートナーを得ることが難しいため、女性がそうした弱者男性を恋愛対象にするように制度設計をしようという主張だ。また、制度設計には言及しな

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    fuyu77
    fuyu77 2022/05/10
  • 京太郎のブログ

    書けないことへの漠然とした恐怖 全くブログが更新できておらず申し訳なさを感じている。 いや、誰に対して? という話であるが。 なんだかんだ最近、読書と書く時間がなかなか取れない。仕事やプライベートが忙しいせいもあるし、小説を書いているからというのもあるが、まとまった文章を書く気力のようなものが削がれているような気もする。そしてそれが一番怖いことだ。何故怖いのか、何を恐れているのか、それはある程度書いたことのある人にしか分からないかもしれないが、ともあれ文章を書く気力の低下に反比例して漠然と書きたいこと自体は増えていく。 積読ならぬ積ブログ状態である。 そんなわけで、ある程度まとまった内容は今後もブログに書いていきたいのだが、リハビリもかねてまとまっていない漠然とした内容をnoteに書くいて整理していくことにした。以下がそのURLとなる。 note.com 書き方はブログとは変えているので違

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    fuyu77 2020/07/19
  • シーライオニングとネット論客の詭弁術 - 京太郎のブログ

    1.シーライオニングとは何か? 2.ネット論客のシーライオニング 3.悪質なシーライオニングの問題点。 3.1 追記 4.【関連記事&参考文献】 1.シーライオニングとは何か? 嫌われる行為の一つとしてシーライオニングというものがよく話題に挙がる。しかしこのシーライオニング、実は単に嫌われるというだけでなく様々な問題を含んでいるのではないだろうか。 今回は、シーライオニングとは何かという話と悪質なシーライオニングが蔓延することの問題点について考えていきたい。 まず、シーライオニング(sealioning)とはウェブ漫画家David Malki !の描いた漫画から派生して生まれた概念である(URL: https://wondermark.com/1k62/ )。 簡単に言うとシーライオニングとは、上の漫画のアシカ(シーライオン)がやっているようなことである。 漫画の内容としては、左上から ①

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    fuyu77 2020/07/19
  • 公共空間の消失とアイデンティティの時代を生きる - 京太郎のブログ

    0.なぜいま公共について考えるのか なぜ今公共概念を問う必要があるのかと言えば、公共という概念が消失しているということを通して「左翼と右翼の対立」を問い直す必要があるからだ。 私がこれから言及するリベラリズムという概念は一般に膾炙している「リベラリズム」とは少しずれた意味で使われているということである。というのも、一般的にリベラルという言葉は、かなり曖昧に、時に左翼という概念と混同されて語られているのである。政治学的な意味でのリベラリズムは、そうした一般的によく使われる「リベラリズム」とは少し違うのであるが、「左翼と右翼の対立」という図式が「リベラリズム」を左翼の類似物として同じ枠組みに入れてしまうのである。 よって、私がこれから一見してリベラルに対して批判的な見解を展開したとしてもそれはインターネットにいる知識人もどきの「リベラリスト批判」にそのまま接続するわけではないというわけではない

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    fuyu77 2019/12/14
  • 「真の弱者」はどこにいるのか~「キモくて金のないオッサン(KKO)」論の誤謬~ - 京太郎のブログ

    0.前回までのあらすじ 1.「真の弱者」論 2.「キモくて金のないオッサン(KKO)」論 3.弱者性のブランド化、同情の再分配 4.同情(承認)争奪戦としての弱者論争 0.前回までのあらすじ 前回の記事で、人間には弱者や被害者の存在を否認することでこの世界を正常だと思い込もうとしてしまう心理的傾向があることを確認した。被害者や弱者にも責任があると思えば、この世界は変なことをしない限り酷い目に遭わないと錯覚できる。被害者や弱者の自己責任にしてしまえば、自分は何も考えなくても済むというわけである。そのような心理傾向は公正世界仮説と呼ばれる心理的誤謬であり、これが弱者叩き、被害者叩きの原因となることを前回の記事で解説した。 tatsumi-kyotaro.hatenablog.com 1.「真の弱者」論 今回はいくつかある典型例として、「真の弱者」論を取り上げたい。具体的には次のような主張がそれ

    「真の弱者」はどこにいるのか~「キモくて金のないオッサン(KKO)」論の誤謬~ - 京太郎のブログ
    fuyu77
    fuyu77 2019/08/16
    "KKO論は、既存の社会運動では救えない弱者がいるということを得意げに指摘してみせるだけのゲーム的な論争……になり果てた。よって、一見それらの議論が弱者について語っているようでも、その本質は冷笑主義である"
  • モラハラ夫と「優しい支配」~信頼が消える日~ - 京太郎のブログ

    1.モラルハラスメントとモラハラ擁護論 前回の記事では、恋愛関係のトラブルにおいては「同意の有無」「合意形成の過程」より「悪気があったのか」「どのような意図だったのか」という点ばかりに焦点が当てられてしまうことを警戒すべきだと書いた。 tatsumi-kyotaro.hatenablog.com そしてまさに、そうした思考の誘導によって寧ろ加害者側が同情されてしまう例、被害者側の被害が矮小化されてしまう身近な例としてモラルハラスメントを取り上げたい。 凶悪な事件ではなく、モラルハラスメントという卑近な例を「優しい支配」という観点から問題を見ていく。 そうすることで、モラルハラスメントが「比較的軽微な加害だから」という理由で擁護されてしまうのはなぜかという問題について書くこともできるだろう。 そして、最後には同意のない「優しい支配」の関係に陥らない為に必要な信頼と信頼関係について語ることにし

    モラハラ夫と「優しい支配」~信頼が消える日~ - 京太郎のブログ
    fuyu77
    fuyu77 2019/04/14
    "信頼関係とは「お互いの何もかもを分かり切った関係」なのではなく、むしろ「期待を裏切られながら、関係性を更新し続ける関係」だと言える"
  • ネット論客論法解説~記者会見化するネットの議論~ - 京太郎のブログ

    1.ネット論客の質問術 2.質問戦術は少数対多数の構図を生み出す。 3.議論ゲームの不公平。 1.ネット論客の質問術 前回の記事では、ネット上でまともな議論を行っても周りからは「一般人からの共感を得られない議論」「内輪向けで独善的議論」として扱われてしまう現象について説明した。 tatsumi-kyotaro.hatenablog.com それを避ける為には、公正な議論とは呼べないような議論ゲームをしなければならない。前回、議論ゲームにおいては、議論は無限に後退すると書いた。今回は、より詳細に、もし議論ゲームに参加すればどうなるのかについて説明を加えたい。 まず、前回のおさらいとして、議論ゲームにおいては、議論の前提と目的は共有されない。これは、議論において問いを設定する質問者側のみが自由に論点を設定する事ができる状況を生み出してしまう。 例えば「どうすれば差別はなくなるのか」というテーマ

    ネット論客論法解説~記者会見化するネットの議論~ - 京太郎のブログ
    fuyu77
    fuyu77 2019/01/08
    "質問者側は自由に論点を設定できる。これは、次から次へと論点をずらし続ける事で無限に質問を繰り返す事が出来る事を意味する。議論を「素人目線の」「素朴な」疑問に答え続けさせる記者会見へと変貌させる"
  • ネットで議論をしない方がいい理由 - 京太郎のブログ

    0.はじめに 1.インターネットでは価値観が同じ人同士が集まりやすい 2.理想的議論とネットでの「議論」の違い 3.ネットでの「議論」 【次回記事&関連記事】 【雑なネットの議論の論点を整理した記事】 【参考文献】 0.はじめに 今回の記事は、ネットで行われている「議論」の現状に対する違和感を私なりにまとめる事を目的としている。ネットの「議論」のいくつかは、話が噛み合うことのないまま、お互いがそれぞれ勝手に「勝利宣言」をして終了することがままある。 それにもかかわらず、ネットの「議論」は、現実の人間関係から解放された公正な議論であるという意見が散見される(「現実では言いにくいい事もネットなら言える」「現実ではタブーな話題にも、ネットなら切り込める」という意見を見たことはないだろうか)。 私は、この手の意見に賛成できない。 これは勿論外野から見た時の意見で、実際にその「議論」に参加したのなら

    ネットで議論をしない方がいい理由 - 京太郎のブログ
    fuyu77
    fuyu77 2019/01/05
    納得感ある。"議論はあくまで前提を共有した人間同士が目的をもって行うものであり、前提も目的も共有しない他者との議論を活発化させても議論は無限に後退するだけである"
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