読んだ内容を誤解するのが「誤読」とするなら、書いてもいないことを勝手に想像膨らませて「そうに違いない」と思うのは「過読」と呼んでよいかもしれない。 人間は書いてもいないことを勝手に想像膨らます不思議な機能がある。そしてこれはあながち悪い面ばかりでもない。 短歌や俳句は、わずかな文字数しか書くことができない。俳句だとわずか17文字。で、優れた短歌・俳句は、読み手にありありと想像を膨らませ、情景を思い浮かばせる。人間に過読機能があることを巧みに利用した芸術なのだと思う。 他方、過読は問題を引き起こすことがある。今回の私のツイートでも、興味深い「過読」が起きた。学生がいるのだからきっと大学の教員に違いない、と過読した人がいた。大学なのだから近くに買い物できるスーパーくらいあるだろう、と過読する人がいた。 赤ちゃんがいるのにご飯を奥さんに無理やり作らせたに違いないと「過読」し、決めつけた人がいた。
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