ニューヨークのセント・ジョーンズ教会の前をデモするホームレスの1人が「これはパフォーマンスではない」と書いたプラカードを掲げていたことにエイドリアン・パイパーが大きな衝撃を覚えたのは、まさに文化的なアクティビズムの限界をこの1枚のプラカードが示していたからにほかならない〔Piper 1992: 48〕。パフォーマンスによって、文化的な表現を押しだそうとするのがアクティビストとしてのアーティストであるとすれば、逆にパフォーマンスであることを拒否するのがホームレスなのだ。ここには、アーティストであることと生活者であることとの間に解決されねばならない切断が示されている。これは、決して1つの例外ではない。問題は、アートや文化的な表象を成り立たせるために引かれたカテゴリーの線分を新たに引き直すこと、あるいは大胆にそうしたカテゴリーを拒絶する方法を編み出すことにあるということなのである。しかし、真の問