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2011年12月12日のブックマーク (12件)

  • gw07.net

    gauqui
    gauqui 2011/12/12
    おさらい的な
  • ART TOUCH 絵画と映画と小説と

    横尾忠則が全作品を兵庫県に寄贈寄託したそうだ。どういう契約になっているか知らないが、要らなくなったらどうするのか。全国の美術館で密かに所蔵品が破棄されているという噂もある。もちろん後世が横尾忠則をどう評価するかわからない。しかし芸術として評価されるとは思えない。いずれは東京都現代美術館にあるオブジェと称されるガラクタのように始末に困ることになる。そうなら横尾氏の作品もせいぜい美術館ではなく博物館に昭和の資料として幾つか残しておくだけでいいのではないか。 鶴太郎画伯の美術館は4つあるそうだ。検索したら確かに4つあった。草津片岡鶴太郎美術館、山中片岡鶴太郎工藝館、福島片岡鶴太郎美術庭園、伊万里片岡鶴太郎工藝館の4つだ。どれも観光地の客寄せの施設のようだ。まさか補助金をもらっているわけではないだろう。秘宝館と思えばそんなに目くじらたてる必要もない。民営なら広報だし、採算が合わなければ閉館になる。

    gauqui
    gauqui 2011/12/12
    『横尾氏“全作品”兵庫に』東京新聞(11/30)
  • 「化物語」に見る(母)親と家族、親密圏の怪異性 - paint/note

    西尾維新「化物語」シリーズを読み終えた。先のエントリ(参考:id:eyck:20090911)で私は前日譚「傷物語」後日譚「偽物語」に倫理性とその歪みを見たけれど、シリーズを通した基底に流れていたのは、少年や少女、つまり子供が逃れられない「親」の化物性=怪異性で、ことに「母親」こそが思春期の子供にとって“化物”的に立ち現れていく様が描かれている。「化物語」の作品世界における倫理性とは「家族」を中心とした親密圏-友人恋愛対象、「萌え」キャラとの関係を含んだ精神的共同体-の怪異性への態度として要請されているように思えた。 ●母の現れとしての怪異 「化物語」前半の「ひたぎクラブ」「まよいマイマイ」「するがモンキー」では、各話の3人の少女にとって母親が化物=怪異の起動トリガーとなっている事が直接描かれる。戦場ヶ原ひたぎは自らの病気をきっかけに新興宗教に没入し家族を壊した母親を切り捨てることで「蟹

    「化物語」に見る(母)親と家族、親密圏の怪異性 - paint/note
  • 日常的抵抗論 終章 民衆的なものと敗北の場所 小田亮 - Garege Sale

    epub PDFで読めます 1.敗北の場所からの抵抗論 社会言語学者の田中克彦氏が、「『国民文学』を通じての『世界文学』の普及は、もはやそこに参与することが絶望的となった文学的落伍者を作り出した。その文学的落伍者とは、まず何よりも言語的少数者、あるいは少数者言語の話し手としてあらわれる。言語的少数者は、圧倒的な国家語からの絶え間ない圧力に抗しきれずに、かれらの伝統的文学活動の要具である母語を放棄するよう迫られるのである」と書いているのを受けて、市村弘正氏は、つぎのように述べている。 たしかに流通力とその範囲を問題にするかぎり、小さな言語は敗けいくさを戦わざるをえないだろう。遺棄されていく小さなもの。この現代性の形姿をここにも確認するほかはないのだろうか。しかし、小さな言語が放棄を迫られるままに消えていくのでないとすれば、それを肯んじないとすれば、そこに何が現れるだろうか。/困難ないくさを戦

  • 第260回:ダウンロードは著作権法上合法のままであるべきとするスイス政府の報告書 - 無名の一知財政策ウォッチャーの独言

    自公がダウンロード犯罪化法案を次期通常国会に提出する方針というロクでもないニュースもある中(時事通信のネット記事参照)、スイス政府が、さらなる著作権規制の強化をしないこととする報告書をまとめたということが話題になっているので、今回は、このスイスの話を紹介しておきたいと思う。 まず、スイスの法務・警察省の2011年11月30日のリリースには、以下のように書かれている。(いつも通り、以下の翻訳は拙訳。) Urheberrechtsverletzungen im Internet: Der bestehende rechtliche Rahmen genugt Bern. Das Internet hat die Nutzung von Musik, Filmen und Computerspielen fundamental verandert. Auf das kulturelle Scha

    第260回:ダウンロードは著作権法上合法のままであるべきとするスイス政府の報告書 - 無名の一知財政策ウォッチャーの独言
  • SYNODOS JOURNAL : 歴史の証言者たち ―― 日本の『制度』をささえた人びと〈1〉 尾上浩二 〜果てなき道筋の、水先案内人〜 大野更紗

    2011/12/120:15 歴史の証言者たち ―― 日の『制度』をささえた人びと〈1〉 尾上浩二 〜果てなき道筋の、水先案内人〜 大野更紗 2011年、10月12日。今日の日で、「尾上浩二」を5時間も「拘束」するなんて、もしかすると国益を損ねる暴挙だったかもしれない。 東京は神田、神保町の路地の一角で、介助タクシーから降りた。事前にインターネットで検索して、プリントアウトしてきた地図からすると、どうもこの古い平凡なオフィスビルが「そこ」らしい。ビルの入り口の狭さを目視して、「当に、ここなの?」と何度も周囲を確認するが、建物の看板に記載してある名称もあっている。 ビルの入り口にはスロープ代わりらしき補強材が一応設置されているのだが、わたしの馬力のない簡易型電動車いすでは何度も前輪が突っかかってしまい、段差を越えられない。なんとかなかに入ると、年代もののエレベーターの幅が狭くて、ハンド

  • 日常的抵抗論 第7章 「物語」の連鎖と日常的抵抗論 小田亮 - Garege Sale

    epub PDFで読めます 1.大きな物語に抗する「小さな物語の連鎖」 民族やネイションを比較的新しく発明されたもの、あるいは構築された虚構ととらえる構築主義は、ナショナリストたちがネイションは自然のように実在するものであり、その伝統は昔からずっと続いていると主張していることを批判してきた。つまり、ネイションが虚構であるということを暴露することによって、ナショナリズムを批判し、ナショナリズムから自由になれるという考えがそこにはあった。けれども、最近のナショナリストは、ネイションが虚構であり、物語であることを認めてしまっている*1。そのようなネイション虚構論にたつナショナリストの代表的な例が、故坂多加雄氏である。 坂氏は『歴史教育を考える』というのなかで、国民を統合するのは民族や言語や宗教などではなく、「物語の共有」だと述べ、国民形成の物語は個人の物語以上にフィクション性が高いと認めな

  • ララビアータ:死と言語(ハイデガー・フォーラム講演)(1) - livedoor Blog(ブログ)

    先日のハイデガー・フォーラムでの講演についての要旨を、フォーラム事務局に送った。いずれフォーラムの冊子で発表されるはずだが、商業誌ではないから、ここに掲載しても許されるだろう。以下、数回に分けてここに公表するつもりだ。 Ⅰニーチェ 我々はハイデガーの「ニーチェ」を論じることをしない。その理由は、ハイデガーがニーチェのテクスト論的問題を徹底的に無視しているからである。我々はと言えば、その点にこそニーチェの問題性を見るのである。それは、テクストが読者に対して挑戦し、誘惑し、試練にかけつつ選別するというパフォーマティヴな作用をもっているということである。オーステインはパフォーマティヴな言語作用について語りはしたが、自身の哲学をパフォーマティヴに展開したのではなく、あくまでもコンスタティヴに記述している。ところがニーチェにおいては、自身の主張内容がそのパフォーマティヴな言語使用と一体不可分なもので

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    gauqui 2011/12/12
  • platospace

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    gauqui 2011/12/12
  • 批判的地域主義 - Wikipedia

    批判的地域主義(ひはんてきちいきしゅぎ、Critical regionalism)とは、近代建築における無・場所性や場所のアイデンティティの欠如を、建物の地理的文脈を用いることで超克しようとする、建築へのあるアプローチである。 批判的地域主義という言葉は建築理論家のアレクサンダー・ツォニス(en)とリアンヌ・ルフェーヴル(en)によって最初に使われ、これとはいささか異なった意味において建築史家のケネス・フランプトンによって用いられた[1]。 批判的地域主義はヴァナキュラー建築でいう地域主義とは異なる。それとは反対にアヴァンギャルドでモダニスト的なアプローチであり、ただし地方的あるいは地域的前提から出発するものである。批判的地域主義という考えが登場するのは1980年代初頭、モダニズムへの反動であったポストモダニズム自体がその頂点にあった頃である。この言葉に最も関係しているケネス・フランプトン

  • 米YouTubeが著作権管理会社RightsFlowを買収~音楽ライセンス事業を加速 

    gauqui
    gauqui 2011/12/12
    sugeeeeeeeeee