日本マンガから色がなくなったのはどうしてか、と考えることがあります。 戦前の日本児童マンガ単行本には、一部は四色(あるいは三色)カラーが使用され、多くは二色カラーで印刷されるという伝統がありました。 坂本牙城『タンクタンクロー』1935年(復刻版・小学館クリエイティブ) 第二次大戦で日本の子どもマンガがほぼ絶滅してしまい、その空白のあと戦後はどうなったのか。 じつは戦後の日本マンガも、色を失わないように奮闘していました。たとえば少年画報社の前身、明々社が発行した雑誌「冒険活劇文庫」1948年創刊号は、その復刻版を見ると総38ページのうち半分が二色です。 「冒険活劇文庫」1948年創刊号(復刻版・「少年画報大全」付録) 紙の悪い時代でも、子どもマンガには色をつけるべき、と考えられていたのでしょうか。多くの赤本マンガも四色や二色をとりいれていました。 しかしマンガは子供のものですから安価でなけ