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ブックマーク / repre.org (27)

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (1)

    去年、半年間をかけて、ロザリンド・クラウスの『独身者たち』(原題 BACHELORS, 1999)を訳した。まだ編集者と交渉中で、出版がいつになるかは未定という段階だが、ここではこのの紹介をする。 ロザリンド・クラウスは、ポストモダニズムの美術批評家である。『オリジナリティと反復』(1985)から『パーペチュアル・インヴェントリー』(2010)に到るまで、すべてはここからはじまり、ここに帰着する。彼女の美術批評の方法は、つねに「モダニズム」との距離から導出されている、という意味だ。 クラウスは、戦後のアメリカの美術批評界で圧倒的なヘゲモニーを握っていたクレメント・グリーンバーグ、そして彼が提唱する「モダニズム=フォーマリズム」の影響下で活動を開始したが、その後袂を分かち、彼女独自の批評理論を展開していく。「モダニズム」の批評論理とは、美術作品の個々のメディウム固有の特性を重視するもので、

    gauqui
    gauqui 2013/05/17
    撹乱する女たち——ロザリンド・クラウス『独身者たち』について 井上康彦
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:小特集:研究ノート:アニメーションとアヴァンギャルド

    昨年末から今春にかけて、東京都杉並区の杉並アニメーションミュージアムで、アニメーション美術監督の小林七郎の回顧展「空気を描く美術」が催された ※1。小林は、名作『ガンバの冒険』(1975)をはじめ、『ルパン三世カリオストロの城』(1979)、『あしたのジョー2』(1980)、『少女革命ウテナ』(1997)、『のだめカンタービレ巴里編』(2008)などの背景を描いた、日随一のアニメーション美術監督である ※2。会場には、それらの背景画をはじめ、数々のスケッチや取材メモなどが展示され、さらにじっさいに放送された番組の一部と新作の映像絵『赤いろうそくと人魚』も上映された。幻想的な城塞がひときわ印象深い『カリオストロの城』が展示に含まれていなかったにせよ、それでもアニメーション美術監督としての小林の全貌に迫る好企画だった。 とはいえ、小林には展が言及しなかった一面がある。それは、アニメーショ

    gauqui
    gauqui 2013/05/17
    アニメーションとアヴァンギャルド——小林七郎が体現する「前衛精神」
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:小特集:研究ノート:「動きから考える」

    現在、アニメーションの表現様式がエンターテインメントの基語彙を占有しつつある。古典的ハリウッド映画の文法に必ずしも従わないブロックバスター(ニュー・ハリウッド)の主流化やデジタル技術を通じた視聴環境の多様化などによって、セル・アニメーションの表現様式や技法が、メインストリームに躍り出ることになった。またオタク文化の世界的な拡散にともなって、日のアニメ文化にも、グローバルな関心が集まるようになり、さらに、いわゆるカートゥーン・フィルムとも実験映画とも異なった「アニメーション」が、独自の地位を確立しつつある ※1。 こうした中、近年の映画研究では、アニメーションが多大な関心を持って語られている。トム・ガニング、ヴィヴィアン・ソブチャック、ノエル・キャロルなどすでに実績を積んだ研究者があらためてアニメーションの可能性を論じ、実写中心のパラダイムの中で無視されてきたアニメーションの歴史も掘り起

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    gauqui 2013/05/17
    「動きから考える」——アニメーションと映画研究
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:座談会:日本アニメのメディア・エコロジー:1

    座談会 日アニメのメディア・エコロジー マーク・スタインバーグ+アレクサンダー・ツァールテン+門林岳史 記事構成:門林岳史 メカデミア・ソウルの風景 門林(以下TK):この座談会では、ハーヴァード大学のアレクサンダー・ツァールテンさん、コンコーディア大学のマーク・スタインバーグさんをお迎えして、「アニメーションの生態学」という小特集の一環として、日のアニメの海外での研究状況について伺っていきたいと思います。ツァールテンさんは日を中心とした東アジアの映像文化やメディア理論、スタインバーグさんは日のアニメやメディア・ミックスを専門とされています。ツァールテンさんは、昨年ソウルで開催されたメカデミアという日のアニメについての学会を主催しましたし、スタインバーグさんもこの学会に参加されていました。まずは、ソウルでのメカデミア会議およびその母体となっている研究誌『メカデミア』全般のことから

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:小特集:インタビュー:アニメーション映画祭の現場から:1

    ──今回、学会誌『表象』第7号の特集「アニメーションのマルチ・ユニヴァース」との関連企画で『REPRE』でもアニメーションの小特集を組むということで、『表象』の特集を中心になって編集した土居伸彰さんにお話を伺いたいと思います。土居さんは短編アニメーションをご専門にされていますが、ご自身で研究に取り組んでいるだけでなく、世界各地のアニメーション映画祭に参加されたり、上映プログラムを組まれたり、といった活動もされています。今日(2013年2月16日)はこのあと恵比寿映像祭での上映プログラムとトークショー、明日はメディア芸術祭の関連企画「ライブラリ・カフェ」でのトークショーと、お忙しくされていますが、まず最初に、そういった上映会とかアニメーション映画祭には、世界にどういうものがあって、どういうかたちで関わっているかということを話してもらえますか。 土居:僕は、ヨーロッパを中心としたアニメーション

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (2)

    慶応3年の大政奉還とそれに続く王政復古の大号令は、250年以上続いた江戸幕府の終結と近代天皇制国家の幕開けを告げた。明治新政府は、明治2年の東京への再幸(明治元年に東京への行幸、すなわち東幸がなされた)によって、首都機能(皇居と政府機関)を朝廷や後宮の因習根深い京都から東京へと遷したが、それは天皇を可視化させる始まりでもあった。宮中の御簾の後ろに鎮座まします天皇像は、すでに近代国家の元首像にはそぐわなかったのである。そこで、政府は天皇及び皇后の存在を国内外に広く知らしめるために、巡幸と天皇・皇后の肖像写真、すなわち「御真影」を大いに利用した。その後、御真影は大正・昭和天皇のもとでも謹製され、軍国主義の色合いを刻一刻と深めていく日の社会に大きな影響力を与えることになったのは、周知のことだろう。 1 御真影にかんする先行研究 明治・大正・昭和と三代にわたり、絶大な影響力を誇った御真影だが、そ

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    gauqui 2013/05/17
    御真影試論:モノとしての御真影——奉掲位置と変色現象に注目して
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:トピックス (4)

    「フィギュール」とは何か——ブリュノ・クレマン連続講演会報告 「およそ言葉というものはすべて言葉からの遠ざかり〔言い過ぎ〕だ」(ベケット『モロイ』) 去る3月9日から20日にかけて、パリ第8大学教授ブリュノ・クレマン氏を招聘し、横浜、名古屋、仙台、東京で連続講演会を開催した(開催日程についてはこちらを参照)。筆者は留学中、国際哲学コレージュで開講されていたクレマン氏の「プロソポペイア(活喩法:不在のものを語らせる技法)」をめぐるゼミに出席し、テクストに対するその斬新な――きわめて堅固にしてきわめて大胆な――アプローチにすっかり魅了され、博士論文の方向性を決めるに際して大いに影響を受け、ついにはその審査員にもなっていただいた。このときのゼミからはもうかれこれ10年が経つのだが、このゼミが元となった「プロソポペイア」をめぐる新刊『垂直の声』(La Voix verticale, Belin,

    gauqui
    gauqui 2013/05/17
    「フィギュール」とは何か——ブリュノ・クレマン連続講演会報告
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:トピックス (2)

    去る2012年12月15日より22日までの一週間、東京大学駒場キャンパス21komcee MMホールにおいて、写真パネル展示「ムネモシュネ・アトラス――アビ・ヴァールブルクによるイメージの宇宙」が開催された。ドイツの美術史・文化史家、アビ・ヴァールブルク(1866-1929)は、その晩年、古代の占星術図像から20世紀の報道写真にいたるまでの様々な図版を、黒いスクリーンが貼られた等身大のパネルに無数に並べてゆく壮大な図像研究を進めていた。そのパネル集の呼び名が「ムネモシュネ・アトラス」である。このプロジェクトは、ヴァールブルクの急死のため未完に終わり、アトラスは63枚のパネルを撮影したフィルムが残されているのみで、それ自体は現存しない。昨年、これら63枚すべてのパネルを詳細に分析した大著『ムネモシュネ・アトラス』(ありな書房)が伊藤博明氏(埼玉大学)、加藤哲弘氏(関西学院大学)、田中純氏(東

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:第7回研究発表集会報告:ミニシンポジウム

    2012年11月10日(土) 16:00-18:00 東京大学駒場キャンパス18号館4階コラボレーションルーム1 ミニシンポジウム:イメージの権利 問題提起:岡田温司(京都大学) 加治屋健司(広島市立大学) 橋一径(早稲田大学) 森元庸介(東京大学) 【司会】木下千花(静岡文化芸術大学) 画像の使用権に関わる交渉は、表象文化に関わる多くの研究者にとって、非常に現実的かつ実際的な問題である。表象文化論学会においても、近い将来、画像の使用に関するルール作りが必要となるかもしれない。しかし今回のミニシンポジウムでは、そのようにしばしばテクニカルな問題として(のみ)処理されがちなイメージに関する権利を、敢えて学術的な議論の対象として、歴史的にも領域的にも広範な観点からとらえ直すことが試みられた。 まず発起人の岡田温司氏は、イメージの権利という問題を考えるにあたって、新たな複製技術、新たなメディ

    gauqui
    gauqui 2013/01/18
    うわさの。「イメージの権利」
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:PRE・face

    「学術出版に絶滅危惧種のリストがあるとすれば、美術研究が一番上にリストアップされるだろう※1」。2006年8月4日付のThe Chronicle of Higher Education 誌が、このような不穏な見通しを伝えた背景には、イメージの複製権料の高騰という問題がある。同誌によれば、ルネサンス美術の専門家が、発行部数はわずか400部から500部の自らの研究書に図版を掲載するために、10,000ドルから15,000ドルを支払わなければならなくなるというケースも決して珍しくはないという。こうした状況は電子出版においても、改善されるどころか、むしろますます深刻化している。一例を挙げれば、紙の出版物であれば刊行時に一度だけ支払えばよかった複製権料が、オンライン出版の場合には、数年おきに更新料が必要となるケースもある※2。このような契約のもとでは、定期刊行物の場合、刊行を続ける限り、権利料の支払

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (2)

    2009年の春、画廊巡りの途中で立ち寄ったメゾンエルメスでの個展※1を今でもよく覚えている。ガラスブロックで覆われた銀座のビルディングの8階、エレベーターを降りた瞬間、空間に満ちた音に身体ごと取り囲まれる。展示室で待ち受けていたのは、40個の黒いスピーカーだった。予期していたような作品の姿は見当たらず、しばらく立ち尽くしてしまう。やがて静寂がおとずれ、咳払いやおしゃべりの雑音がスピーカーから漏れたかと思うと、ひとり、またひとりと歌いはじめる。しだいに歌声は重層的になり、一瞬の沈黙のあと、まるで天から振ってくるように40人の合唱が響き渡る。スピーカーという無機質な塊を通しているにもかかわらず、空気を振動させる声のヴォリュームは圧倒的で、コンサートホールで聴く音楽とは全く異なる音を経験した。荘厳な旋律は、16世紀イングランドの作曲家トマス・タリスの代表作「我、汝の他に望みなし」(1573)とい

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:第7回大会報告:パネル1

    2012年7月8日(日) 10:00-12:00 東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム1 身体の言語学―ダンスの現代性をめぐって 「残酷」の萌芽としてのニジンスキー 堀切克洋(東京大学) 土方巽から大野一雄へ――言語によるイメージの身体化をめぐって 宮川麻理子(東京大学) コンテンポラリー・ダンスにおける「舞踊言語体系」の機能――ウィリアム・フォーサイスの場合 藤堂寛子(東京大学) 【コメンテーター/司会】石光泰夫(東京大学) 20世紀初頭のルドルフ・ラバンによるラバノーテーションの開発は、舞踊の運動がそれ固有の言語的構造を備えていること、すなわち、「舞踊言語」と呼ばれるべきものが存在していることの認識を明確にした。こうした前提に基づき、パネルでは、舞踊あるいは身体、運動と、ノーテーションあるいは文字、言語との関係をめぐる三つの発表がなされた。 最初の発表者は堀切克洋氏。

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:第7回大会報告:リヴォルヴィング・エボリューション――アニメーション表象の新世紀|第I部 シンポジウム

    2012年7月7日(土) 13:00-15:00 東京大学駒場キャンパス「21 KOMCEE(理想の教育棟)」レクチャーホール トマス・ラマール(マギル大学) 津堅信之(京都精華大学) 石岡良治(批評家) 【司会】土居伸彰(東京造形大学) ここ30年ほどの歴史しか持たないアニメーション学がいまだにおぼつかないものでありつづけるなか、1990年代以降、世界的に広がりを見せる日製商業アニメーション、いわゆる「アニメ」は、むしろその専門家以外からの言及を多く引き出すことになっている。それぞれの語り手が持つ文脈から「いいとこどり」のようにしてアニメが言及され研究されていくなかで、アニメに対する(幾分根拠のない)イメージは肥大化し、一方で、その実像についての認識は曇り、歪められていく。 トマス・ラマール氏の著書The Anime Machine: A Media Theory of Animati

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:PRE・face

    先日の第7回大会では、「災害の表象」をテーマとした英語による発表を公募し、3つのパネルにわたる多くの発表が集まりました。今回はそれを記念して、PRE・faceとして招聘講演者のトマス・ラマールさんによる英語パネル参加記をお届けします。日語訳は英語原文に続きます。(REPRE編集部) The Image Economy of Disaster “The disaster ruins everything, all the while leaving everything intact,” wrote Maurice Blanchot, as if to suspend us between two possibilities. His words impart a certain degree of confidence that there are indeed disasters th

  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (3)

    今年はジョルジュ・バタイユ(1897-1962)の没後50年に当たり、フランス各地で大小様々な催しが予定されている。筆者は現在パリ第七大学の博士課程で、この作家のテクストに現れる「対立」・「裂け目」・「空虚」・「切断」の要素を、同時代の諸戦争と密接に絡んだ多元的な〈戦争〉のトポスとして捉え、そこでバタイユがどのように人間の歴史経験の意味を捉え返していったかを研究している。バタイユは、五月革命の前に世を去ったという意味で、現在目にする世界からは一つ隔たりのある時代を生きた作家である。彼はいわゆる「復員兵の世代」、すなわち第一次世界大戦後、人間の意味的な表象世界を離れ、事象のより唯物的な領域において「現実」の概念を再構築しようとした若い芸術家や知識人たちの世代に属している。マルクスに後押しされつつ開花したこの唯物性と魔術性を要り混ぜた新たな思想が、全体化し自走する巨大な戦争機械としての第二次世

    gauqui
    gauqui 2012/05/11
    ヴェズレーの空と〈戦争〉の時間――ジョルジュ・バタイユ没後50年に寄せて大池 惣太郎
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (2)

    映画監督としての小津安二郎、ハリウッドの古典的映画スタイルに対抗しうる独自のスタイルを有した映画作家としての小津安二郎、あるいは映画的感性に富んだ名手としての小津安二郎…。小津はこれまで様々に冠されながら、日映画の巨匠としての名声を恣にしてきた。 しかしながら、小津の初期サイレント作品についてはとりわけ映画美学という観点から、これまで十分な研究がなされてこなかった。小津に対するハリウッド映画の影響はよく知られている。しかし、それは正確に言って何だったのか。小津は、日映画作家としてであれ、独自のスタイルを有した作家としてであれ、しばしばハリウッドに対比されて論じられてきた。とすれば、先の問いはますます興味深く思われてくる。小津は何をハリウッド映画から学び、いかにして彼独自の映画スタイルを発展させていったのか。 小津に対するハリウッド映画の影響のもっとも明示的な例として、彼の初期作

    gauqui
    gauqui 2012/05/11
    「動き」と「明るさ」の美学――小津安二郎の初期作品の地平と可能性 滝浪 佑紀
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:研究ノート (1)

    いささか平俗な話からはじめたい。すなわち、美術の国イタリアについて。過去において、そして当節なお、イタリアほど美術の栄光と結び重ねられる国は稀であろう。レオナルド、ミケランジェロ、ラファエッロ。あるいはカラヴァッジョ、ベルニーニ。彼らの作品を目当てに世界じゅうから旅人がこの国を訪れる。確かにフランスも美術が看板の国ではあるが、ルーヴルで来館者を引き寄せているのは、なんといってもモナリザであろう。とすれば、まさしく美術の国イタリアという話。 にもかかわらず、上の芸術家たちが「イタリア国民」ではなかったことを、あらためて思い出させてくれたのが昨年のできごとであった。イタリア統一150周年(わずか150年なのである)にあたる2011年、美術分野の記念行事として打ち出されたのは、ルネサンスやバロックの巨匠ではなく、ポヴェリスティ(直訳すれば「貧しき人々」だ)と称されるイタリア人たち(とひとりのギリ

    gauqui
    gauqui 2012/05/11
    「アルテ・ポーヴェラ2011」消息金井 直
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:小特集「メタモルフォーゼ」:4.研究ノート:メタモルフォーゼとしてのファッション

    かつて森村泰昌が《フェルメール研究(大きな物語は、小さな部屋の片隅に現れる)》を制作したとき、幸運にもその現場を垣間見ることができた。フェルメールの《絵画芸術の寓意》に描かれた室内空間が国立国際美術館の展示室に巨大セットで再現され、後日その制作プロセスがNHKの『日曜美術館』や展覧会で紹介されたため記憶されている方も多いだろう。ご存知のように、フェルメールの《絵画芸術の寓意》には画家とモデルの二人の人物が登場する。《フェルメール研究》ではそれぞれの衣装を身に着けた森村を別々に撮影し、後から写真を合成することで二人の森村が登場する。世界地図の掛けられた壁を背景に、水色のドレスと月桂樹の冠を身につけポーズをとる女性。その顔立ちと楽器を手にする指先に、我々は森村自身の身体を認める。そしてモデルの方に向かって絵筆を握る画家、すなわち我々には背を向けて決して振り向くことのない画家にも、我々は森村自身

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    gauqui 2012/05/11
    メタモルフォーゼとしてのファッション 平芳裕子
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:小特集「メタモルフォーゼ」:2.『fashionista』創刊記念インタビュー:1

    表象文化論学会ニューズレター『REPRE』の今回の小特集テーマは「メタモルフォーゼ」です。変身、扮装、身体を変容させること、アイデンティティをめぐる揺れや戯れ……とテーマを敷衍していったときに、必然的に浮かび上がってくるのが「ファッション」でした。 そこで、2010年から「ファッション批評」を実施するための具体的なムーヴメントを押し進め、今年2月に「日初のファッションの批評誌」を銘打つ『fashionista』を創刊された蘆田裕史さん(ファッション研究者)と水野大二郎さん(慶應義塾大学専任講師)に、お話を伺いたいと思います。 Q1:『fashionista』の創刊号がすごい反響で、販路が限定されているにも関わらず、すぐに増刷が決定するほどの売れ行きだそうですね。創刊前後の反響や手応えについて、お聞かせください。 蘆田:2011年2月に「ドリフのファッション研究室」(NPO法人ドリフターズ

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    gauqui 2012/05/11
    『fashionista』創刊記念インタビュー 蘆田裕史・水野大二郎 聞き手小澤京子
  • 表象文化論学会ニューズレター〈REPRE〉:小特集「メタモルフォーゼ」:1.対談 松尾恵×佐藤守弘:1

    —— 森村泰昌さんとダムタイプは、80年代のほぼ同時期に京都で活発な活動を開始しており、また、両者とも変身、つまり他なるものになることといった主題と密接に関連する作品を制作してきました。しかし、これまで両者の関係について論じられることはどちらかというと少なかったように思います。今回は、VOICE GALLERYを運営し、長い間京都のアート・シーンを見つめ続けてこられた松尾恵さんと、京都市立芸術大学で教壇に立っていたY・アーネスト・サトウを父に持つ佐藤守弘さんに、森村泰昌やダムタイプを輩出した80年代京都文化について語っていただきたいと思います。 「美術」から「アート」へ 佐藤:松尾さんは京都市立芸術大学を卒業された後、1986年にVOICE GALLERYを創設されて、ずっと京都のアート・シーンのど真ん中にいらっしゃってシーンを見てこられたわけです。そこで、森村泰昌さんやダムタイプ以前の世

    gauqui
    gauqui 2012/05/11
    森村泰昌とダムタイプの80年代京都文化