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ブックマーク / jun-jun1965.hatenablog.com (32)

  • 藤原書店に敗訴 - 猫を償うに猫をもってせよ

    http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20091120 http://d.hatena.ne.jp/sheepsong55/20120604/1338808808 以上の件で、藤原書店に対し、『環』への謝罪文掲載を求めて東京地裁へ提訴していたが、原告の社会的地位を低下させるほどのものではないということで敗訴した。 断っておくが、私はむやみと裁判を起こす人間ではない。相手がまったく話し合いに応ぜず、埒があかない時にのみやむなくしているので、山形浩生が謝っているのに高額の賠償金をふっかけて裁判にした人とは違う。今回だって賠償金請求はない。ただ謝罪文中には、粕谷の当該書を絶版にするという文言がある。 藤原書店といえば、左翼っぽい出版社だと思われているだろうが、創設者の藤原良雄(1947- )は、新評論の編集者から独立した人ながら、寺田博編『時代を作った編集者101』

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    gauqui
    gauqui 2013/02/12
  • 天下の奇書大賞 - jun-jun1965の日記

    2012年の小谷野賞の該当作がいまだ見つからない。ない時は該当作なしにするが、代わりに「天下の奇書」大賞として、古いで、かつ著者は40年前に死んでいるが、舟越康寿『寂寥 学究・その半生の愛』(文芸社、2003)に授与したい。梗概はアマゾンに書いておいたが、芥川賞受賞作などよりはるかに面白い。その面白さが、著作としての価値であるか、ないし、面白いという気持ちがあとあとまで続くか、それは保証しない。よくこんなものが一般書として刊行されていると感嘆するほかないのである。 寂寥―学究・その半生の愛 作者: 舟越康寿出版社/メーカー: 文芸社発売日: 2003/10メディア: 単行 クリック: 5回この商品を含むブログを見る - 黒古一夫の『辻井喬論』(2011)に、辻井は国家からの褒章を貰っていないが、芸術院賞だけ貰っているが、そのほかは辞退したのかどうか、天皇制についてどう考えているのか、な

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    gauqui
    gauqui 2013/01/23
  • 三島由紀夫と生方たつゑ - jun-jun1965の日記

    『短歌研究』1956年7月号に「日美の再発見」と題した、三島由紀夫と生方たつゑの対談が載っている。三島三十一歳、生方五十二歳だが、これは生方側の熱心な懇請で実現したらしい。 たつゑの娘である生方美智子(1928- )の『母とのたたかい』(リヨン社、1985)によると、たつゑは群馬県沼田の二十九代続いた名家生方誠(せい、一八九四‐一九七八)に嫁して美智子を生んだ。生方誠は戦後国家公安委員を務めたという。千葉大学を出てカリフォルニア大学とバークレー大学に留学、と美智子は書いているが、これはカリフォルニア大学バークレー校のことだろう。帰国して聖路加に勤務したというから医師で、なら千葉大はないから、千葉医学専門学校卒だろう。 さて美智子は、日女子大卒ののち、鹿島慶三(よしみ)と恋におちる。鹿島は江戸の商家鹿島家の御曹司だというから、鹿島清兵衛の孫に当たるのだろうが、父は十代目清兵衛ではあるまい

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    gauqui
    gauqui 2012/12/13
  • 純文学について - jun-jun1965の日記

    小説トリッパー』に載っていた松浦寿輝と川上弘美の対談を読んでいて、いよいよ純文学も胸突き八丁へ来たなあと思った。川上の新聞連載であるファンタジー『七夜物語』と、松浦のネズミ物語『川の光』をめぐるものだが、これはどちらもファンタジー、あるいは児童文学の類であり、一般的な純文学ではない。芥川賞作家二人が、そのことの言い訳のように、デュマやバルザックやディケンズも通俗性があったと言いあっているのだが、これは使い古されたレトリックで、久米正雄はだから、ゾラもトルストイもドストエフスキーも高級な通俗小説だと言ったのである。それなら三田誠広のように、純文学を書いても生計が成り立たないからファンタジーを書くのだと正直に言ったほうがいい。 デュマは今でも古典的通俗作家と見なされるが、まあバルザックなどの手法は、松清張や山崎豊子、高村薫などに受け継がれているわけで、だったら川上が選考委員をしている芥川賞

    純文学について - jun-jun1965の日記
  • 部分批評 - jun-jun1965の日記

    谷崎潤一郎が『春琴抄』を出した時、川端康成は文藝時評でこれを絶賛しつつ、春琴が小鳥を飼っている、そこのところがおかしく、谷崎は小鳥を飼っていないだろう、と評した。川端は「禽獣」を見ても分かるが、犬だの鳥だのたくさん飼っていたのである。 私は高校生の時に、竹下景子さん目当てで飯田橋ギンレイへ「祭りの準備」を観に行ってまったく驚いたのだが、数年後、テレビ映画批評めいた番組で、女の評論家がこの映画について、「最後に(主人公が家を離れて東京へ出ることのメタファーとして)家の籠から小鳥が逃げ出すでしょう。ああいうところがちょっとねえ」などと言ったのである。私は、ほう、映画批評というのはそういう風にやるものか、と感心して、もしかしたらものすごく恥ずかしいことに、誰かに受け売りしたことがあったかもしれない。 今から12年前、私が売れっ子評論家だったころ、「アメリカン・ビューティー」という映画のパンフレ

    部分批評 - jun-jun1965の日記
  • 「女犯2」のまとめ - jun-jun1965の日記

    バクシーシ山下のアダルトビデオ「女犯2」は、トラウマになる。しかしまとめサイトなどないようなので、まず時系列にして、注釈を加えることにした。 1990年9月「女犯2」リリース 1991年10月6日 「自主講座の仲間」というグループがこのビデオを問題視し、「AVビデオ『女犯2』を考える」という催しを行い、バクシーシ山下を呼ぶ。会員では若槻世都子の名が出ている(足立)。 その後、「V&R」は、飯島あつ子が、強姦の演技について承諾した様子を撮影したビデオの提出を拒否する。 1992年 足立倫行が著書『アダルトな人びと』(講談社)でこの件を取り上げるが、むしろバクシーシに好意的。(のち文庫化) 同年、「AV人権ネットワーク」がバクシーシを糾弾し、その性被害に遭った者相手のホットラインを二日間設けるが、連絡はなし。 この間、石坂啓が「東京新聞」でバクシーシを非難したとバクシーシ著にあるが、確認できず

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  • 歴史小説の進化 - jun-jun1965の日記

    ようやく、林房雄の『青年』を読んだ。若いころ、小林秀雄が絶賛しているのを見て、へええいっぺん読んでみるかなと思いつつ、今日に至ってしまった。林房雄といえば、今では『大東亜戦争肯定論』で有名だが、若いころは左翼作家で、投獄されている最中にこの小説の腹案を得て、出獄して書き始めたのである。いわゆる四か国艦隊による下関砲撃事件と、ロンドン留学から帰り、攘夷の不可能を悟った志道聞多(ぶんたとルビがある、井上馨)と伊藤俊輔(博文)が、戦をやめさせようと奔走する話である。『中央公論』に連載され、昭和9年刊行。 彼らを客観的に見る人物としてアーネスト・サトウが配され、日を東洋の野蛮国とみる他の西洋人らと、その古い藝術文化のすばらしさ、西洋の新しい文明を摂取する早さなどを説いている。今から見れば、林はこれは獄中で「転向」したのであり、だからプロレタリア作家からは批判され、プロ派ではない『文學界』に拠る小

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  • ホモソーシャルについて - jun-jun1965の日記

    前川直哉の『男の絆』について私が書いた一点のアマゾンレビューが時おり話題になるので、いちおう説明しておく。 上野千鶴子の『女ぎらい ニッポンのミソジニー』もそうだが、なるほど、こういうことは一般にはまだ知られていなかったのかと思ったもので、こうした話は、学者(文学研究者、社会学者)の間では、1990年代にさんざん議論されていたことで、上野著にも前川著にも、私を含めそれらの人は、別に新しいものは何も見出さなかったであろう。 特にいずれも、物故したイヴ・コゾフスキー・セジウィックが『男同士の絆』の序文で言ったことをそのまま信奉している。なおセジウィックのこのが、邦訳される前、おそらく日で一番早く紹介したのが、私の『夏目漱石を江戸から読む』(1995)なのだが、まあそれはいい。 セジウィックはその序文で、ホモソーシャルという概念を打ち出している。ただこの概念をセジウィックが作ったというわけで

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  • トルコ風呂の発祥 - jun-jun1965の日記

    トルコ風呂というのは、今ソープランドと呼ばれるものについては、1951年の東京温泉が最初と言われているが、これも当初はただ女が垢すりをする、というものだった。 『日国語大辞典』を見ると、それとは違うアングルの「トルコ風呂」のようないわゆるサウナのことを、それ以前からトルコ風呂と称していた。 松沢呉一は『エロスの原風景』で、既に戦前の上海に、卑猥な場所としてのトルコ風呂があったことを、文献で示して修正をしている。 川端康成の「風鈴キングのアメリカ話」(1930)には、ちょっと微妙な「トルコ風呂」が出てくる。1906年に講道館の山下義昭がセオドア・ルーズヴェルト大統領に柔道を教えたという話のあとで、 しかし、フレシュマンといふトルコ風呂は、その前からちやんと、ニュウヨオク第四十二丁目第六街の街角にあつたんだ。逞しい日青年が十五人ばかりも、そこに三助をしてゐた。三助の一人に佐竹といふ講道館四

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    gauqui
    gauqui 2011/07/27
  • なんだこいつ・・・ - jun-jun1965の日記

    http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20110714-00000302-newsweek-int 言っている内容は割とどうでもいいのだが、こいつ、バカではないかと、読んでいて思った。公家みたいな名前だが筆名らしい。 「学生の専攻に取って意味のある」「とって」だろう。 「日のカルチャーに魅力を感じてやってくるという動機が強いのです。悪いことではないのですが、それでは仮に日の学生が海外への志向を持って行った場合に、意識の上ですれ違いになるのではないでしょうか」 意味不明。なんで「カルチャー」なんだ。「文化」じゃいけないのか。「海外への志向」ってのも変だし、何が擦れ違いなんだか分からない。それにこれ、別に九月スタートと関係ないし。 「母国語」って今は「母語」と言うんだよ。それにこいつ、英語圏つまり米国のことしか考えていない。 「もしかしたら、東大

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  • 苫米地英人よどこへ行く - jun-jun1965の日記

    苫米地英人が『洗脳原論』で登場した時は宮崎哲弥も絶賛したものだが、私は読まなかった。 ところがそれから数年たつうちに、苫米地は大量の「あやしい」を書く人になっていた。しかし、いくら題名やら出版点数の多さが怪しそうでも、中を見ないで何か言ってはいけないと、『「婚活」がなくなる日 結婚=幸せという洗脳』(主婦の友新書、2010)を図書館で借りてみたが、入手するまで半年くらいかかった。 もちろん、私は婚活賛成であり、ネット婚活を勧めている。しかし「結婚=幸せという幻想」は、その通りである。幸せになる人もいるが、往々にして、結婚を望んでいる人は、そこに過剰な期待を抱いている。 さて読み始めて、苫米地が、読者対象を女に限定していることに気付いた。主婦の友社新書だからかもしれないが、婚活をするのは女だけではなかろうにと思った。苫米地は、婚活をしている女は仕事に疲れているだけで、婚活というのは商業資

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  • 暴力的演劇 - jun-jun1965の日記

    その昔、村上龍が「演劇は暴力的な装置だ」という文章を朝日新聞に書いたことがあった。演劇が好きだった私は、へえ村上龍は演劇が嫌いなんだ、と思った。 柴幸男の岸田戯曲賞受賞作「わが星」は、戯曲を読んだ時点で、なんだかうるさそうな舞台だなと思った。ずっと時報が流れ続け、ラップ音楽みたいなのが随伴している。選評でも、ソーントン・ワイルダーの「わが町」の翻案で、と言われていたが、内野儀なども、この作品がもたらす感動はワイルダーの作品のものではないかと言っていた。 それが、DVDになって安価で出ていたので買って観てみたら、案の定うるさくて、感動どころではなかった。劇場でなんか観て(聴いて)いたら、それこそ暴力装置だろうと思った。あまりうるさいので、せりふに耳を傾けることもできず、へえこれで感動するのかねえと思ったくらいである。 あの、みんな遠慮して言わないだけだが、ラップってのは、うるさい。私がラップ

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  • 言うに忍びないが - jun-jun1965の日記

    言わないと私の精神状態が危機に陥るので。 塾に来た男子。某私大を出てかなりいい大学の院に入ったという子で、論文も活字にしている。先日、夏目漱石から話が正岡子規になって、俳句歴史を訊いたら、何も知らなかった。俳諧連歌の発句が独立したということさえ知らず、私が連歌以来の歴史を説明して、菟玖波集は日古典文学大系にも入っている、と言ったら、日古典文学大系を知らなかった。そのくせ、子規の「俳諧大要」なんかは読んでいるらしい。 別に某私大だからというのではない。近代日文学を専攻していて、古典について何も知らないという学生が増えている。それで大学院まで行ったりする。これは教員が悪い。「日文学史」の授業で、自分の専門だけ教えていたりする。これは、教員自身も無能で知らなかったりするからである。 デリダやフーコーは読んでいるが古典文学について何も知らない(レトリックではなくて当に)というのが、

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  • 丸谷才一と徴兵忌避 - jun-jun1965の日記

    丸谷才一(一九二五‐ )が「徴兵忌避」にこだわる人であることは知られている。既に四十一歳になった時に書き下ろされた長編『笹まくら』(一九六六、河出文化賞)は、某大学の職員である浜田庄吉という男が、かつての戦争のさなか、五年間にわたり、名を変えて各地を放浪し、徴兵を忌避していたという事歴と、それが現在の彼に及ぼす影を描いている。これはグレアム・グリーンの手法に倣ったことが明らかだが、『たった一人の反乱』(一九七二)以後、十年に一冊書かれる丸谷の風俗小説を認めない人でも、この『笹まくら』だけは認めることが多い(ただ私は『横しぐれ』が一番面白い)。 その後短編「年の残り」で芥川賞を受賞した後、一九六九年に書かれた評論が「徴兵忌避者としての夏目漱石」である。漱石は、大日帝国憲法発布によって次第に全男子が徴兵されねばならなくなる前の、戸主・長男などが兵役を逃れた時代、北海道在住者は兵役を逃れたこと

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  • 内田ジュ先生の最終講義 - jun-jun1965の日記

    『文學界』4月号に内田ジュ先生が60歳で定年前に神戸女学院大を辞めるというので最終講義が載っている。何たる華々しさであろうか。 何か、さしさわりのあることも書くなどと言っておいでだったが、別にそんなものはない。温情で学生を卒業させてやったとかいう話があるくらいで、この程度で「さしさわりがある」のであれば、私に大学教員が務まらないのも無理はないと思った。 が、ジュ先生は21年前、というから39歳の時ですね、神戸女学院に就職するにあたって、傷害事件の類を起こすことを懸念し、なるべく家から出ないようにした、と書いておられる。自動車通勤し、家と大学と道場を移動するだけだった、という。人通りのあるところを歩くと喧嘩沙汰になるからということのようだが、梅田や三宮には月に一回くらいしか行かないというが、それだけ行ってりゃ十分でしょ。それにインドネシアへも旅行しているし、飛行機での移動なんて特にカリカリし

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  • 私小説を勧める島田雅彦 - jun-jun1965の日記

    1995年6月27日の読売新聞で、面白い記事を見つけた。島田雅彦が、インタビュー形式で、文藝時評をするものだが、「今月からゲストに迎えた島田雅彦氏は、三浦(俊彦)氏のもくろみに理解を示しつつ、「私小説を極める方が、文学の復権には有効」とみる。」 「魂の暴力」に“素の私”、私小説的な風情を読みとるとすれば、青野聰氏の新刊「人生の日付を求めて」(新潮社刊)には、どんな“私”が表れているだろう。 「これは私小説を書こうとする私という登場人物を、作者である私が書いているという設定の、いわゆるメタフィクションですね。語り手を複層化、多層化させて、私小説をポリフォニックに書こうとしている。が、いまさらメタフィクションを手法として前面に出しても、ほとんど意味はない。だってメディアに包囲された我々の日常生活は、ほっといたってそのままメタフィクションなんですから。みんなが相手や媒体という状況に応じて、複数の

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  • 使い回し? - jun-jun1965の日記

    芥川賞が発表された時の島田雅彦は、 http://www.nhk.or.jp/kabun-blog/100/70093.html (朝吹さんについての批判的な意見は) 私がしたのですが低いハードルを綺麗に飛ぶという見方ですね、そこで意見が分かれた。 と言っているのだが、選評では田中慎弥について、 「あえて低く設定したハードルを綺麗に飛んだという印象を受けてしまった。」 と書いている。何だこれは? まじめに選考して選評を書いているとはとても思えない。 だいたい文学というのはハードルを設定して飛ぶとか、そういうもんではないだろう。

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  • 無意味な抗議活動 - jun-jun1965の日記

    永山則夫が日文藝家協会への入会を拒否された時、柄谷行人、中上健次、筒井康隆が抗議のため協会を退会した。私は当時、「抗議のため退会」ということに何の意味があるのかよく分からなかった。だって協会側としたら、うるさい奴がいなくなってせいせいするだけではないかと思ったからだ。 もっともこの三人の場合、マスコミが大きくとりあげたから、それなりに意味はあった。しかし喉元過ぎれば熱さを忘れるで、あまり大局的に意味はないのである。 私も、ヨコタ村上のようなセクハラ事件を起こした奴が関西支部監事なのは許せんと、日比較文学会を退会したことがある。比較文学会には、45歳以下の会員を対象とした比較文学会賞というのがあって、2002年に平川祐弘先生が『聖母のいない国』を推薦してくれたのだが、ちょうど退会していたところで、これは申し訳ないことをした。 しかし、自分が退会しても比較文学会は痛くも痒くもないことが分か

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    gauqui
    gauqui 2011/01/29
    論壇
  • 私小説について - jun-jun1965の日記

    ニコニコ動画のインタビューでも言ったのだが、日で私小説というものへの反対論が根強いのは、実際にダメな私小説というのがあったからで、大正後期の『新潮』『中央公論』などに、温泉へ行って藝者をあげたとか、その手の安易な私小説がたくさん載っていたのである。 それと、戦後もずっと、作家がある程度の地位を得てしまうと、つまらない身辺雑記私小説でも文藝雑誌に載せてしまう、ということがあって、小島信夫などは、その最たるものだったろう。『別れる理由』なんてのも、別に前衛でもメタフィクションでも何でもなく、ただだらしなく書いていただけである。私は小島信夫も、『抱擁家族』以後はまるでダメな作家になったと思っているが、世間では小島の、すっとぼけたような姿勢に勘違いして畏敬の念を抱いていたのである。1982年、文藝賞の選考委員をしていて、桐山襲の「パルチザン伝説」が候補になった時小島は、こういうものをもし受賞させ

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  • 福田と坪内に - jun-jun1965の日記

    『SPA!』の対談で、福田和也と坪内祐三が私の悪口を言い合っている。福田は、私が東大の紀要に「俺は東大を出て留学もしているのに、なぜ福田などが文藝評論家なのか」と書いた、載せる東大東大だと思った、などと言っているが、そんな事実はない。思い当たるのは、『比較文学研究』(これは東大比較文学会が出している学術雑誌であり、紀要ではない)に「外国で日文学を勉強するということ」を書いた(1993年、63号)。その冒頭で私は、福田の『「内なる近代」の超克』について疑念を表明しているのだが、これは『男であることの困難』に入っている。見れば分かる通り、福田が言うようなことは書いていない。書くわけがない。しかもその後、私は95年の比較文学会で福田と話している。それからあと、『谷崎潤一郎伝』を書いて福田が絶賛したらころっと態度が変わった、と言っているが、それは事実である。しかし、実際にはその間に、福田との対

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