2020年02月17日 17:40 南海ホークスの捕手事情 1970~1978 Tweet 野村克也が監督になって、南海を追われるまで。 野村克也がホークスの監督に就任してから、球団を追われるまでの8シーズンに、その翌年まで加えた。 柴田がしばらくは控え。そのあと、野村なき後の正捕手になった黒田が加入。 1974年、39歳の野村は急速に衰える。翌1975年には阪神から打撃に定評がある和田徹がやってくるが、機会は与えられなかった。 翌年から野村は少なくとも打者としては復活し、正捕手の座を明け渡さなかった。ま、スタメン表に自分で自分の名前を書いたわけだが。 しかし1977年はまた成績が落ち込む。サッチーの問題がなくても、このままではすまないような成績ではあった。 9月25日に監督を解任される。野村の長い間の同僚だった広瀬叔功が急遽監督になり、ドラフトでは新日鐵堺の捕手中出を1位で指名する。 何